Zola ゾラ


性的人身売買を扱いながら軽快に見せる映画というのがあって、90年代以降のそれらは「お話」でもって空気をコントロールしてきたように思うんだけど、この映画は空気を変える出来事の数々が当事者に伴走しているようなリアルさを持っており、独自の演出が盛大に施されているにも関わらず見ていて辛かった。自宅でも鍛錬を欠かさないゾラ(テイラー・ペイジ)の、私もお金を払って見たいと思わせられたポールダンスが肝で、あの芯に救われた。

ひゃ、150ドル?はぁ?という私の内心の声と同じ意気をゾラも発し、娘の写真を携帯の待ち受けにしているステファニ(ライリー・キーオ)が一回で500ドル稼げるようてきぱき行動し始める。ここで映画の空気が上向きに変わるが、同時にこんなこと、ありそうだ…私もああしそうだと思わせられ逃れられなくなる。目の前の弱者を捨て置けないというゾラの心持ちは、終盤の、男からステファニへの「アナルは?」への即座の「彼女はしない」とも繋がっているが、この映画はその後早々に「@ステファニ」を挿入してしまうんだから意地が悪い(ここは全てが同様に並んでいるSNSを見る時の感覚の再現だと受け取った)。

冒頭の一幕から、ステファニは嫌なことでも真面目にやってのけるゾラの性分を見抜いて目を付けたようように私には思われたんだけど、そもそもが彼女は黒人女性の主体性というものを全くもって考えておらず、格好や喋り方を真似しておいて自身のアカウントで後出しする際にはそれをよくないものとして平気で捨て去るのだった。ゾラはホテルの部屋のドアを開けると白人男性に「白人を希望したのに」と言われるが、うんこにうんこと言われた上にそのことについてステファニに「嫉妬している」と言われるうんこ地獄も、案外こういうことを真正面から描いている映画ってないから身に染みた。

ステファニが下着をつけたまま上半身を洗う場面があったけれど、男の人は気付かないであろう男の人相手の仕事で困ることは石鹸やお湯で肌が荒れる(のではと気になる)ことなので(「一晩で8000ドル」ならいちいちじゃなくまとめて洗ったのか/ちなみにこの映画は「乳首」を見せない)、ああした描写は妙にリアルだ。ゾラがプールサイドでX(コールマン・ドミンゴ)に脅されているところへ白人男性のスタッフが声を掛けてくるが何の助けにもならない場面なども、人種の要素も大きいけれど、公共の場なのにも関わらず暴力を振るわれてしまう絶望感が明るい太陽の光の下に刻み付けられており暗い気持ちになった(映画が悪いというわけじゃないけども)。