最近見たもの



ザ・ギフト


「こんな話」ながら、変な言い方だけど、映画としてはすがすがしいというか、風通しがいい感じを受けた。手の内を全て明かして真っ直ぐ向かってこられたような。見た後に嫌な気もしない。


ジョエル・エドガートン演じるゴードからの最初の贈り物が届く時、ロビン(レベッカ・ホール)はシャワーを浴びている。シャワー中の来訪者は恐ろしいが、私が覚えるのは「裸だから」だとしても「女だから」ではない、もっと根源的な恐怖だ。このシーンにそれを感じた。全編に渡ってそうで、私にとってはとても「自然」で、それがよかった。


石でも投げれば割れるような、あんな窓ガラスに囲まれた家に住んでいるなんてというのはこの映画の「突っ込みどころ」ではない。鍵一つで書類を見ることが出来、検索すれば居場所が分かる。「そんな場所」にいながら何もしてこなかった彼女の心が、この一件で割れる、そういう話なのだ。


「女性映画」としては、「ブリジット・ジョーンズ」と意外にも?多くの共通点があった。おさるさん、を始め(笑)父親の分からない妊娠、割られるガラス、そして何よりも、物語の最後に男ではなく我が子といる主人公の姿。女にとっては、どう転んでも子は自分の子であることを考えると、最後にカーテンで夫を拒絶する妻は一人でもやっていけるということが示されているのかもしれない。


▼コンカッション


とにかく「アメリカ」を描いた映画だった。アメリカを体現している「フットボール」に外国人がぶつかる(が、そこで生きていく)話である。尤もこの面が目立ったのはこの事柄を映画にしたからで、例えば幾らでもページを費やせる本ならばもっと違う面も出てくると思う。要素が多過ぎて、うまく語り切れていない様に感じられた。


ベネット・オマル(ウィル・スミス)は、「マイク・ウェブスター(デヴィッド・モース)にdangerous "gift"をもらった」ことにより、アメリカは天国じゃなかったと知る。「夢の場所」に家を建て、子を持とうという時、仕事も(「神の傍にいる」)子も失う。ベネットと妻が川辺で寄り添い誓い合う画と、後に彼らが捨てるはめになる「家」の画はとても印象的だ。「アメリカ人のふり」をしてきたベネットが、映画の終盤、ワシントンに呼ばれ「君こそアメリカ人だ、君のような人は首都にいなければならない」と言われたその内容は本当だろうか?出来すぎの皮肉だ。


「そんなアメリカに生きる医者」としてベネットを支えるのがアルバート・ブルックスアレック・ボールドウィンで、どちらも儲け役。でぶっても消えない美男のコアのようなものにより、立ったり座ったりしているだけでも何だかお金を払ったかいがあったと思わせるアレック・ボールドウィンに対し、ウィル・スミスはその魅力の多くを(少なくとも私にとっては)若さというか若っぽさ、に負っていたんだと気付いた。頑張ってるし悪くないけど、今ならもっと他に色々、いるじゃんねと思ってしまう。


この映画を見る限り、「戦争に行く者は自身の危険を分かっている」「フットボールの選手は手足を折る覚悟はあるが頭がおかしくなり命まで失う可能性は知らない、知るべきだ」で話は終わっているので(勿論、ベネットの仕事はそれなんであるが)、兵士が危険を知っていれば「戦争」があってもいいのかと釈然としないが、戦争もフットボールも(形は変えても)無くならないんだろうなとも思う。

スター・トレック BEYOND



クリス・パインの瞳に始まりイドリス・エルバの瞳に終わる物語。カーク(クリス・パイン)のアクセルの呼び掛けに気付いたジャイラ(ソフィア・ブテラ)がファイティングポーズをとる場面でちょこっと泣いた。とはいえ「タイマン」を始めとする戦闘シーンが私の好みとしては多過ぎて、少々飽きてしまった。船内で作戦について話してるなんて場面の方がうんと好きだ。


冒頭のカークの「船の中で歩いてはいるが、地に足が着いていないよう」「宇宙が無限だとしたら、この任務に終わりはあるのか」という独白が面白かった。宇宙が舞台の映画を見ている時に私がふと思うことだから。物語の最後に彼は「何があるか分からないのが面白い」といういわば「わくわく感」を取り戻す。映画はシリーズの有名なあの文句「宇宙、それは最後のフロンティア」で締められるが、アメリカ人にとって「フロンティア精神」を持っていることこそが健全な人間の証なんだと思わされた。


エンタープライズ号がヨークタウンに着くと、縦横無尽ぽい映像に壮大ぽい音楽が流れるのが、意味が分からず、何を盛り上がってるんだ?と思い、そっか、SFが好きならここでわくわくするのかと、自分のセンスの無さを改めて自覚した(笑)また終盤の「発進」を例えば4DXで見たらどうだろうと想像して、今の所のこうした技術は「スクリーンを見て」いなければならないという制約があるんだなと考えた。そうすると、いつも私が考えてしまう、「登場人物になる」事が映画体験なのか?という疑問が浮かぶ。


それにしても「人を殺して自分が生きるより、人を生かして自分が死んだ方がまし、そういう時代なんだ、時代は変わったんだ」とは、「カークが思っていること」とはいえ、随分と希望に満ちた映画じゃないか。実は一番思ったのはそのことだった。