映画の序盤、ジョンヨン(イ・ヨンエ)とミョングク(パク・ヘジュン)が車で拾う青年スンヒョン(イ・ウォングン)に何て素敵な笑顔だと思っていたら、後に自分の馬鹿さ加減を知ることになる。彼はそれを「捨てられないために」身に着けたのである。日頃、女の言動が処世のためと分からない世間に苦い思いを抱いているくせに自分こそ考えが及ばない。その彼が待機する「家族を捜す会」の事務所へ、やはり「ハンサム」と言われるミョングクがとびきりの笑顔を作って入っていく場面が切ない。ジョンヨンも職場では後輩からかっこいいなんて言われている。外からは分からないということだ。
「おれは警官だ」が口癖のホン警長(ユ・ジェミョン)は「国のために尽くしている」と言い切り、血まみれの事態に女が警察を呼んでと頼むも「おれがそうだ」と聞く耳を持たない。海辺の一角に、自分が国だと思っている奴と資本(釣り場)を持っている奴、彼らの女、「前科者」や「被疑者」だから言うなりになるしかない(ところに目をつけられ雇われている)奴らがいて、この共同体が子どもを搾取している。彼らは虐待しているミンスがどこの誰かということには全く興味がない。ただただ見たくない、知りたくない一心から隠蔽というにはあまりにお粗末なやり方でジョンヨンを追い払おうとする。
釣り場の主人と警長の「お前、彼女(ジョンヨン)の心が分かるか」「おれは自分の心すら分からない」「おれもそうだ、でも俺達は生きていくしかない」とのやりとりから、彼らも自分達をジョンヨンいわくの「人間じゃない」存在だと認識していることが分かる。しかしそれは警長の言う「何千人も客が来たのに誰もあいつに目をとめなかった、悪いのは俺達だけじゃない」に易々と相殺されてしまう。「人間」がいないからますます「人間」が減る。映画を見ている私達もこの共同体の一端なのだ。
映画の終わり、ジホとジョンヨンの「行かないで」「すぐ戻ってくる」「約束して」「ありがとう」(「ありがとう」?)に、そうだ、死に物狂いの母親を描くこの映画の通底にはずっと保護者を求める子どもの叫びが流れていたと気付く。その後、そこだけ泥の付いていない小指の爪に、更にそのことを確認する。最後に出る原題(「わたしを捜して」)はチラシの文言と対になっているようだが、息子のユンスが実際に口にするわけではない。子どもはものを言えないから、大人が、ひいてはこの映画が代わりに言っているのである。