理想郷


意を決したアントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)が飲み屋で隣人兄弟と話をしようとする、自分の意見を言い、それに対し「君は何をする」のか聞こうとする(彼は何の教師だったのだろうか?)、兄のシャンが突如雄弁に自らの立場と心境を語る、この場面には見たばかりの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を思い出してしまった。こちらにはアントワーヌが思わずあげる大声の中に出てくる「上」の存在があり、作中では彼と巨大な風力発電システムの画で示されるが、補助金を受け取った場合の使い道を聞くだなんて(どうせろくなことに使わないんだろう?とね)私は「ない」と思う。案の定関係はよりこじれてしまう。

シャンが「お前に嫁がいるようにおれ達も女がほしい」と吐露した翌朝、アントワーヌが鏡の前で身支度する(=「女」らしい)オルガ(マリーナ・フォイス)にキスをする姿、その心は私には「あいつらには女がいないがおれにはいてよかった」と見えてしまった。続く夫婦2組でのささやかなディナーの風景も、村の男達が欲しくとも手に入れられないものだ。これは今の日本のウェブ上でサザエさんクレヨンしんちゃんの家庭を羨むお約束に通じるかもしれない、いわゆる男性の心理なので私には分からないけども。

遡り夜のベッドでの「君がいてくれてよかった」とは何とも引っかかる物言いだった。まるで「ここ」にいる主体が自分でないような。相手を愛していてもそれはまた別の問題である。映画は後半、アントワーヌを亡くしたオルガが現場での暮らしを積極的に続けていくというやり方で自身を回復させていくさまを描くが、私にはこれは、「あいつらには女がいるがおれたちにはいない」「あいつらには女がいないがおれにはいる」の文脈から脱した女の話にも見えた。そうなって初めて彼女は夫と真逆のやり方で周囲の女達と話をして足場を作ろうとする。娘との会話、あの自身を強く持ち強く伝え、尊厳を傷つけられれば怒りを露わにする姿勢には感動させられたし、隣人の老いた母親への「もう私達しかいない、何かあったら私はそこにいる」とはあの状況での最上の一言だった。