フォックスキャッチャー



とても面白かった。予告編からは想像できないけど、この映画のスティーヴ・カレル、ここ数年に劇場で見た役者の中で一番すごいんじゃない?という瞬間が何度かあった。
見ながらふと、ソダーバーグならどんなふうに撮ったかな、なんて想像したのは、チャニング・テイタムの肉体性に「マジック・マイク」が頭を過ったこと以上に、中盤金髪にしたチャニングとスティーヴのほんのわずかな「蜜月」に「リベラーチェ」を思い出したから。


冒頭ジムで一人、人型相手に黙々と練習をするマーク(チャニング・テイタム)。人型がぼろぼろなのは練習の激しさのためか、あるいは金銭的余裕が無いからかと思っていると、その後しばらく、彼の苦しい日常が描かれる(後にちらと映る「フォックスキャッチャー」の人型は、人的資源が豊かなため使う機会が少ないからか?美麗である)。こんなふうに私の疑問に次々と応えてくれる、「全ての場面が連携している」とでもいうような映画というものがあり、そういう映画は面白い。
マークがデュポン(スティーヴ・カレル)との面会を経て一旦帰宅し古びたマットレスを燃やすカットがやけに印象的だと思っていると、その後「車でまっすぐ」向かったデュポン邸で部下の面接を受けている最中、姿を現したデュポンが一言「(うちのは)いいマットレスだぞ」。彼にはマークを捉える要素があるのだと分かる。


マークは自室に「デラウェア川を渡るワシントン」を飾り、冒頭の講演では子ども達に向けて「この国のこと」を語ると前置きする。常に「アメリカ」のことを考えている。それはレスリング選手、いやオリンピックの金メダリストである自身の境遇と分かち難い問題である。
「私はレスリングのコーチだ」と自己紹介するデュポンは、「レスリング」と「愛国心」でマークの心を捉える。真夜中の絵画室で「アメリカの偉人」に囲まれ組み合う二人は、至上の快楽を得ていたことだろう。それを裏付けるように、次の場面では彼らの作中一番の「蜜月」が描かれる。デュポンが少年時代の苦い経験を語ると、マークが少々頓珍漢なことを返し、デュポンが笑う。しかし「蜜月」は儚く、その実マークは練習をさぼって酒に溺れているし、デュポンには逃れられない「アレ」が付きまとっている。それにつき「資金を出しているの?」とあっさり一突きしてしまう母親、ヴァネッサ・レッドグレーヴのあの顔!


作中「映像」が幾つも出てくる。デュポンの敷地内に住むことになったマークは、使用人から渡されたビデオテープを見てデュポンについて「学ぶ」。それは恐らくデュポンが「尊敬している」父親が作らせたデュポン財閥のドキュメンタリーであり、息子も自身の「偉業」を映像という形で残そうとする。そしてマークはラストシーンで「テレビの中に入る」とも言える。
二人に対して「映像」から遠い所に居るのが兄のデイヴ(マーク・ラファロ)だ。対戦相手の映像を収めたビデオテープを持って来るも怒って出て行ったマークを追い掛け、「こっちによこせ」とそれを取り上げ放り捨て、弟の体に手を伸ばす。彼は何も通さなくても相手に語り掛けることが出来る。もしかしたらそれゆえ「映像」に自らを沿わせることは苦手で、そのために悲劇が起こる。


チャニングとラファロの肉体が素晴らしかった。「無言の留守電をしたろ?」との軽い攻撃に兄が優しく手を伸ばすも弟の涙で終わるセッションは勿論、チャニングが一人で「レスリング」をする姿がいい。冒頭のジムでのトレーニング、「フォックスキャッチャー」のぴかぴかのジムに足を踏み入れて、あるいは広大な敷地を移動しながら思わず動き出す体は見応えがあった。