登山者の4割が命を落とす(と冒頭に字幕で説明される)ことから「キラー・マウンテン」と呼ばれるアンナプルナ。中でも南壁は最も危険なルートと言われる。本作は、スペインの登山家イナキが南壁から頂上を目指す途中で高山病に襲われた際、世界中から救助に向かった仲間の証言をまとめたドキュメンタリー。
私や、おそらく一般的な「山岳映画好き」が期待するものはここには無い(ちなみに私の一番の山岳映画は、テアトルタイムズスクエアで見たことも大いに加味して「運命を分けたザイル」)。「山」は遠景のみだし(あの「時の経過」の表し方はいいなと思った)、「救助活動」の内容は口頭で説明されるのみ、いわゆる再現ドラマも無い。山岳映画なら、まずカメラマンが大変だよね!などと思う瞬間は全く無し(笑)上映時間の殆どは、「登山家」達が自宅やそこいらで語っている場面だ。
多くの山岳映画やドキュメンタリーと違い、本作は「登山家」、言うなれば「仲間を助けに向かった登山家」(この二つが合致するものなのか私には分からない)の記録である。これから他の山岳映画を見る時、「彼ら」はこういう人達なのだ、という「理解」の助け、あるいは基盤になる内容であると言える。案外そういう映画は少ない。
「登山家」の語りだけでなく、日常が見られるのが面白い。そもそも「自宅やそこいら」といってもカメラが飛ぶのは「世界各地」なので、まず風景がバラエティに富んでいる。
イナキと同行していたホリアは歯科医の仕事着の下にトレーニングウェアを着込んでいる。やはり同行者であり登頂に成功したアレクセイは、山に出掛ける前に「妻子のために一か月分の食糧を買い込んでおく」と言う。ロシアでは買い物に行くのが大変なのかなと思うも、後の夫婦の会話からして「罪滅ぼし」のような感覚なのかなと想像する。
それから、登山家の肉体を見る時って大抵はウェアに包まれているから、ジムで上半身裸で筋トレしているところや、サウナでビキニ姿で「鍛錬」しているところなども貴重だと思う(笑)
見ながら集中力が途切れる時も多かった。その理由はおそらく、語りによって「再現」される「当時」はのろのろとであっても一方方向に進んでいるのに、脈絡も無く繰り広げられる「登山家」の記録には時の流れが無く、互いに妨げあっているように感じられたから。
終盤、イナキの肺に水がたまり息が出来なくなってきた、救助に向かう三人は雪崩に遭っていた、なんて時(それが映像じゃなく言葉で表現される時)、映画は突如また「登山家」の語りや、ベースキャンプで料理人として働く男性の家庭での様子、イナキとの思い出話などに時間を割く。何らかの効果のためにそうしてるんだろうけど、私としては気がそれてしまった。
観賞後に公式サイトを見たら、アレクセイは昨年エベレスト登頂の途中に亡くなったとあった。夫婦で椅子におさまっている画の後、彼が先に離れていったのがなぜか心に残っている。