ランボー ラスト・ブラッド


ランボー」とは私には、まだそんなことにこだわってるの、もう終わったじゃんとは決して言わせない、という(人々の気持ちを代弁する)映画である。それと「ランボー」まだ作ってるんだ、というのが重なるのも今世紀の二本が面白い所以じゃないかと思う。「クリフハンガー」を思い出させる本作のオープニング、救助活動を終えたジョン・ランボーシルベスター・スタローン)を指して他者が「ベトナム帰還兵だ、追跡が上手い」と言う。帰還兵であることが彼のアイデンティティであり、当時培った能力を今も使い続けていることが分かる。

「96時間」シリーズに代表される人身売買(に類する)組織に無敵男が殴り込みに行く映画につき、楽しんでしまいながらも、世界はこれに血沸き肉躍らせないでほしいという気持ちが常にある。ああいう悪は現実に在るのにあんな無敵男はいないし愛する者が被害に遭わなきゃ動かないのか、結局何も変わらないじゃないかと思ってしまうから。しかし見慣れたストーリーをなぞるこの映画ではそういう気持ちが起こらなかった。エイドリアンめいたカルメンパス・ベガ)に向けられる「妹さんのことも無念だったろう」に一番胸打たれさえした。彼女が被害者の肉親である必要は無い、どころかそのために一種の家族主義の押しつけに見える恐れさえあるのに。これは不思議なことだ。

娘のガブリエルの「(実の父親が)家族を捨てたのにはきっと理由がある」にジョンおじさんが諭す「心が黒く(ブラックと言ってたからね)なった男に良心は戻らない」、作中これが反復される。「クズはクズ」だから暴力しかもの言わぬ場があるし、その世界、彼の言葉を借りれば死の世界が終わらないんだと言っている。ガブリエルが会いに出向く父親が私には最も、「クズはクズ」ということを強調するために作られた映画の都合によるキャラクターに思われた(それがダメだというわけではない)。あんなふうに自分を言語化してはっきり言ってくれるやつなんて実際いないもの。

(以下「ネタバレ」です)

作中のランボーが目にするものは死体に始まり死体に終わる。このシリーズが一体何だったのかが最後のナレーションで語られる、「(「死の世界」の反対であるところの)家に帰ろうとしたが心と魂が迷ってしまい帰れなくなった」と。振り返ると着替えさせられたガブリエルを一瞥でそうと認め、掛ける言葉が「もう終わった、家に帰ろう」なんだから、彼女が帰れなかったところでこの話は終わったようなものだ、あとはおまけなのだ。ちなみにこのくだり、他の女達は怖がって一人も逃げられなかったという描写がいいと思った、ものとして支配されてたらきっとそうだろうから。