拝啓、愛しています



ものすごい破壊力!開始早々胸がいっぱいになり、最後には号泣。「泣ける映画」って簡単に言うけど、それは映画に力があるから。ほんとにやられた。


ソウルの下町、早朝、坂での出会い。男は黒、女は緑の同じようなマフラー(他の人もそういうのだから、あれが「スタンダード」なのかな?)をしているが、女の方が巻き方にバリエーションがある(「ソンさんだって女なんだから」)。男はワークパンツにポケットたくさんの上着、体を使って働いてきたのかなと思う。何十年も別々に生きてきた二人のテンポは随分違うけど、やがて溶け合っていく。


知り合ってしばらく、男は牛乳パックを見て女を思い出す。女はバイクの音に窓を開ける(この場面の後に効いてくること!)。誰かを「思い出す」ことの楽しさが伝わってくる。
駐車場に女の姿を見つけた時の男の顔!昨年観てたら「2012・よかった顔大賞」にしてたに違いない(笑)その後、他の男が手を貸しているのに憤懣して踵を返す。本作には全編に渡って、こうした古めかしい、でも笑えるギャグが散りばめられている。そもそも書き損じたラブレターがゴミ箱の周りに散らばってるような、そんな映画なのだ。でも、見慣れたあれこれが強く美しく感じられる時こそ、映画の力と、それを観る幸せを思う。


本作は「いつ死んでもおかしくない年」になってから出会った二人と、「ずっと寄り添ってきた」二人、四人のラブストーリーだ。前者の男と後者の女が「コメディ担当」とも言え、前半でその二人が駆ける場面のみ、作中唯一、ちょっと「ふざけた」BGMが流れる。ふと、女であっても(しかも「老人」ばかりが出てくる映画なので容姿の不備が使えなくても)「もうろく」すればコメディ担当になれるんだな、なんてことを考えた。


狭い部屋に敷いた粗末な布の上で、さっさとは動けない男と女が誕生日を祝う。「ダブルデート」状態の海岸で、男二人の話題は「死」だ。
「この年になって『タンシン』(お前)と呼ぶのは妻だけ、それが礼儀だ」(このセリフの後に効いてくること!)「罰が当たったのよ、母さんを苦しめたから」など、他の国のことはよく分からないけど、彼らはもしかしたら、目に見えない何かを持っている「最後の世代」なのかもしれない。しかし祖父は孫に「女について」教えられ、また身をもって、死ぬ時に幸せなら幸せなのだ、ということを伝える。


「息もできない」を思い出す坂の多い町の遠景になると、遠くに高層ビルやネオンが少しだけ見える。あの「俺を知らないのか」男は、「柄の悪い町」に住んで毎日車で都心に通ってるのだろうか?また、坂に加えて一軒家であれ狭いアパートであれ、段差が多くて大変そうだなあと思った。