ハンズ・オブ・ラヴ



映画は警察官のローレル(ジュリアン・ムーア)の仕事の一幕から始まる。そのうち色々「分かっ」たつもりになる。例えば彼女の無謀にも見える行動は、後に自身で言うように「警察で女は出世できない、ましてや『gay woman』は論外」だからゆえの無茶なのだと。しかし次第に違う解釈もあり得るのではと思うようになってくる。例えばそうした行動は、まずは強い正義感からなのではないかと。
ローレルの相棒デーン(マイケル・シャノン)は、庭師と勘違いしたステイシー(エレン・ペイジ)をガールフレンドだと紹介され「俺は隠し子のことを明かしたのに、なぜ同性愛者だと黙ってたんだ」と責める。一見勝手な言い分だが、もしかしたら彼の言う通り「警察官のパートナー」間では必要なことなのかもしれない。あるいはステイシーが見抜いたように、彼女への好意ゆえの憤りもあったのかもしれない。


この映画は全篇に渡ってラブストーリーでもある。バレーボールのネットの向こう側のローレルに一目惚れしたステイシーが、仲間に「あのブロンド?」「ほら、あんたのprincessが来たよ」などと言われるのが楽しい(彼女にとってローレルはずっと「princess」である、その目で分かる)。バーの裏口から出て海を見た後、二人は互いにやらないタバコとお酒の味がするであろう唇同士でキスをする。ここから物語が始まったようにも思う。
若干の後ろめたさも感じつつ、二人のきらめきにどきどきする(後ろめたいっていうのは、だって、「恋してる」から美しいだなんて!)。同時に、時折舞台となる「同性愛者」の場に、やがて二人がそれこそ望まずとも彼らの「代表」となるのだと思って緊張する。


ローレルとステイシーは州内の遠くの町で同性パートナーシップ制度に登録し、「village hall」と掲げられた前で人目を避けつつキスをする。二人はたまたま「同じ」だった夢、「パートナーと家と犬」を共に持つことをかなえるが、それが安定しているのは、全てが「うまくいって」いる(すなわち仕事があり健康である)時だけ、「裏庭が表から見えない」時だけである。
「夢」について語り合う際、ローレルは犬ならマルチーズと言うが、ステイシーにええ〜と返され、その場は笑いとじゃれ合いで終わる。冗談に見えたあれは実は本音で、大きな犬にしたのは彼女が譲ったのかもしれないと、後でふと思った。人は皆、細かいところまでは「同じ」じゃない。


「ゲイ」であっても皆「同じ」じゃない。スティーヴ・カレル演じるスティーヴンが、登場するなりローレルを祭り上げて最前列で踊り出す(に等しいことをする)のも、当初コメディの時のカレルにしか見えず戸惑ったけど、実際ああいう人もいるに違いない。
初対面でローレルが「私のことを利用しようとしてる」と言うと「そうだ、こんな機会を待っていた」。彼女が寝たきりになった折にも「望まなくとも君は今、活動家なんだ」。一方のローレルは「同性婚は望まない、私が求めるのは平等だけ」とその点は譲らない。こういうところが面白かった。尤もローレルの描写については、作り手が、彼女をより「正しく」残そうとしたのだろうと思う。


最後の郡政委員会が始まる前、壇上に置かれる委員一人一人の名札がはっきりと映し出されるのは、これまで「集団」であった彼らが初めて「個人」として登場することを示している。最初の話し合いにおいて、「全員一致じゃないとダメだ、150年の伝統だ」と、新人のケルダー(ジョシュ・チャールズ)の棄権が却下されるように、集団が個人より前面に出ると、根底にある個人の意思はつぶされてしまう。
同じことがローレルとデーンの職場にも言える。そこにはあからさまに差別する者から彼をたしなめる者、自身もゲイであることを隠さねばと考える者など様々な意思を持つメンバーがいるが、当初、表に現れているのは「委員会に出向かない」という一枚岩である。


委員会に出向いたローレルとステイシーが車の中から見る、彼女達を待つデーンの小さな姿がとても温かく感じられて、涙が滲んでしまった。「裸に革ジャンの男が行進するのか」なんて「偏見」はあるにせよ、彼は「アングロサクソンで男でストレート」に当たる立場の人間(つまり、他の状況においては、他の属性の人間)がし得る最大の善きことをする。自分も出来る時にはああありたいと思う。
終盤ローレルがデーンに打ち明ける「あなたを隠れ蓑にしていたのかも」には、証言台に立つシャノンの大きな体を思い出すと同時に、新人のベルキン(ルーク・グライムス)が「あなたは正しい」と伝えにやってきた(が、それ以上のことは出来なかった)ことも思い出す。「隠れ蓑」にも、なれるものならなると思う。


この映画の「クライマックス」は、「年金なんてどうでもいいと思ってた」ステイシーの、「でもローレルを見ているうちに変わりました」「私達は普通の市民です」で始まり、「だからあの家を持ち続けたいのです、愛の思い出として」で締めくくられる演説である。聞きながら、冒頭のローレルの電話口での「あなたは頭がよくて愉快で正直な人」という言葉を思い出していた。途中の「私達は意見が合わないこともあるし、喧嘩もします」には、この映画そのものを見た。
映画はステイシーが海辺で一人、輝くローレルに触れるところで、すなわち二人のラブストーリーとして終わる。「愛」が輝くためには世の「平等」が必要である。素晴らしいラストシーンだった。