ボローニャの夕暮れ



週明けの夜、銀座シネパトスにて観賞。


チラシから「戦時中のパパの思い出話」的なほのぼの映画かと思ってたら、違ってた。テーマは終始「家族」だけど、まずは「もてない少女と両親の話」、そのうち戦争の色が濃くなり、当時を振り返る娘のモノローグで「ハッピーエンド」に終わる。
ラストの「仲直りには時間がかかった」という言葉に、あの後3人はどうなったんだろう?と思わずにいられなかった。


第二次世界大戦中のイタリア、ボローニャ。美術教師のミケーレ(シルヴィオオルランド)は妻デリア(フランチェスカ・ネリ)、娘ジョヴァンナ(アルバ・ロルヴァケル)との三人暮らし。ある日ミケーレの勤める学校で女子生徒の他殺死体が発見され、友人だったジョヴァンナが逮捕される。


冒頭、教員である父親が、娘と同じ学校に向かう途中「あの男の子、お前を見てたぞ」。「もてない」娘を「励まし」(母親に言わせれば「間違った自信を付けさせ」)ているんだけど、なんとなく不穏なものを感じる。学校では、娘と話をしていた男子生徒を呼び出し「あの子は他の子と違って繊細だから」「君の成績は私次第だ」。ここにきて、父親の無邪気な顔が怖くなる。父の言動を受け入れている娘も「普通」じゃない。逆に言えば、彼女がそうだから父親がそうなのだ。それにしても、男とくっつけたがっておきながら「傷」は避けたいだなんて、矛盾を感じる。色恋って、色々あるか何もないか、どっちかだと思う。
母親の方は現実的で、17の娘と余計な会話はせず、パーティのためのドレスについて「ボタンを二つ開けるのよ」とアドバイスする。自身の胸元もそうしており、こなれて板に付いている。後に「私だけいつもカヤの外で!」と言うのは、自分はよかれと放っておいていることを、父と娘が共有しており、入っていけない、という感じか。


セピア調の映像で描かれる、当時の暮らしぶりも面白い。食事は毎回パスタ(一度だけ「パスタとオムレツ」のうち後者が選ばれる)。「これからはドイツの缶詰に慣れなきゃ」「甘くて酸っぱくてへんな味」というセリフ。デリアは寝る前に、寝室の洗面台?にストッキングや靴下を干す。また戦後、父が娘に「今夜はテレビと映画を楽しもう」と言うのは、電気屋のウィンドウのテレビを立見し、出たての「カラー映画」を観るということ。何の映画だったのかな?


保護施設に入った娘が、やたら「うんこ」「尻」などシモ方面の言葉を口にするのが気になった。もともとそうだったのか、あるいはそうすることで、何か解放される部分があるのかな?