イエロー・ハンカチーフ



山田洋次幸福の黄色いハンカチ」('77)のリメイク。刑期を終え出所した男(高倉健ウィリアム・ハート)が、偶然出会った若者(武田鉄矢エディ・レッドメイン桃井かおり→クリスティン・スチュワート)と共に、かつて愛する女と暮らした地(夕張→ニューオリンズ)を訪ねる物語。


久々の東劇にて鑑賞。「幸福の黄色いハンカチ」の方は、ひと月ほど前に再見した。


原作のエピソードを忠実になぞっている本作には、かなり「とんちんかん」な感じを受けた。比べて観る楽しさはある。
エピソードには「アメリカ」に即した変更がなされている。ゴーディ(エディ・レッドメイン)がぼこられるのはヤクザ(原作ではたこ八郎)でなく車上生活者だったり、ブレット(ウィリアム・ハート)の連れて行かれた警察署に「ビーフカツ」の出前が来たり。
中には無理矢理と思われるものもあり、例えば健さんは夜道で賠償千恵子の「唇を奪」ってしまい気まずくなるが、ブレットとメイ(マリア・ベロ)が仲互いするのは、キスしてきたメイのスカートに手を入れようとして拒絶されたから。ここはあまりに取ってつけたようで、観ていられなかった。
また、原作で私が一番好きな、健さんの話に涙する武田鉄矢に、桃井かおりが「ごめんね〜」と馬乗りになるシーン(あんなに触られるの嫌がってたのに!)は、若者二人の「まともな」会話で済まされていた。武田鉄矢桃井かおりの、キモいけど気楽なあの感じは何ものにも代えがたい。もっとも舞台が「現代」の「アメリカ」じゃ、本作のキャラクターがぴったりくるんだろう。



また「幸福の〜」では、小出しにされる健さん倍賞千恵子の「物語」にじらされ、クライマックスで待ってました!と味わう快感があるけど、本作にはそれがない。冒頭からほのめかされるウィリアム・ハートマリア・ベロの「物語」(雨に打たれて彼女のシャワーシーンを思い出すなど、いかにもアメリカらしい映像)は、あまりにも大味で「もっと観たい」と思わない。
まあ、私が日本人だからかもしれないけど、健さんの「あんたは『奥さん』ですか?」→嬉しくて駆け出すシーンにかなうものはないだろう。そもそも「無口」なはずのウィリアム・ハートが、二人の前で「家庭を持つ幸せに恵まれた」…なんてべらべら語る様がそのまま映されてるんだから、わびさびも何もない。


流産の後、機嫌を悪くしたウィリアム・ハートに対し、マリア・ベロは「子どもなんて欲しがってなかったのに、流産したらいきなり責めるなんて!」と言う。まさにその通りで、高倉健ウィリアム・ハートの言動は理不尽なものなのだ(とくに原作では、殺された人がかわいそうだと思っちゃう)。しかし、本作は二人の間に「まっとうな会話」があるためにつまらなくなってしまっており、この話って、日本のあの頃におけるファンタジーだったんだなと思わせられる。


原作では「大人(健さん)」と「若者(武田&桃井)」の年の差は十か二十ってとこ。対して本作では、クリスティン演じるマーティーンが「15歳」、ゴーディはそれより少し年長か。ウィリアム・ハートの孫といってもおかしくない。今は大人と子どもの境目があいまいだから、これだけ離れてないと観てる方もぴんとこないのかもしれない。


荷物を持った男二人に対し、クリスティンは着のみ着のまま。登場時には上下重ね着してるのが、次第に内側の服を脱いでいき、最後にはゴーディのシャツを借りている。メイクはどうしてるの?というのはともかく、これなら汚くないから安心だ(笑)