オルジャスの白い馬


森山未來が出演しているカザフスタンが舞台の映画」という情報のみで出向いたら西部劇だったので意表を突かれた。面白く見たけれど、森山未來といえば体の動きが魅力的なのがあまり活かされていないようで少し残念だった。

一家の父親が動物をトラックに乗せ仕事に発つ冒頭「マディソン郡の橋」が脳裏をよぎるが、ここでは子どもたちは母親と家に残る。それからしばらく長男オルジャスにとって父の象徴する男の世界、母が象徴する女の世界が並行して描かれる。どちらにも一見波風はないが、彼の中のちょっとした鬱屈、父の世界の方に行きたいという欲望が、斜め気味の画面やら彼の立ち姿やらから伝わってくる。そこへ事件が起きる。

オルジャスが目覚める場面が何度も挿入されるので、少年が一晩ごとに大人になってゆく話のようにも見える。始め「ロシア娘」の水浴を男友達と覗いている記憶の中で起床する、銃のおもちゃを二つばかり置いてある枕元に、最後にはカイラート(森山未來)のくれた馬のおもちゃと父の時計がある。父は馬をくれたが男はおもちゃをくれた、父は市場へ連れて行ってはくれないが男は20キロの道中に連れて行ってくれた。しかし暴力との関わりを消せない男は結局姿を消す。

オルジャスは大人達のしていること…それは「男の世界」と「女の世界」の交点とも言える…を主に窓の中から覗き見る。それは「外」だが、映画の終わりにはいわば「内」を見る、いや遭遇するのだった。あのカットの裸足のエロスは近年のどんな映画のどんなシーンよりも衝撃的。