PIGGY ピギー


『ファルコン・レイク』ほどじゃないけれど、宣伝から予想し得ない内容だった。夜中3時の警察署でコーヒーを前に嗚咽するサラ(ラウラ・ガラン)が心の内を吐き出そうとするのを、娘を追い込みコントロールすることでその行く道を潰してしまっている母親(カルメン・マチ)が遮る。何をどう言おうとしていたのか想像がつかず、気になって仕方がなかった。

(以下少々「ネタバレ」しています)

映画は思慮深い瞳が印象的なサラが夏の祭りの日の昼間に家業の肉屋の中から外を窺っているのに始まる。その先にはバイクに跨っている多分「クラス一かっこいい」男子、ガールフレンドは彼女が以前には仲良くしていた女子のようだ。映画の終わり、サラは欲しくて仕方のなかったもの…男子のバイクの後部座席(に象徴されるもの)を手にする。彼女とそれの間を阻んでいたものが殺されたり何だりの血まみれの末だが(作中唯一切断される部位はあの男子に触れていた手)、その道のりは案外あっけなく感じられるのだった。

ドアの鍵なんて掛けないような、警官の上司と部下が父と息子であるような、親同士はみな知り合いであるような街で、男やセックス(的なもの)への欲望が満たされないことへの反動はこんなにも強いという話に私には思われた。初めて顔を合わせる場面に既に薄々漂っていることに、よそから現れた肉付きのよい大人の男はサラにとって「男」そのものである(この男のルックスの絶妙さや彼女がしきりに男連れと囃し立てられる描写がうまい)。殺人鬼であることを差し引いても…というのは変な言い方だけど…全然やばい男だがセックスに目の眩んだ女子には適切な判断ができない。自分にも覚えのある女子のそうした類の馬鹿さ、欲望、そこからの目覚めが描かれることはあまりないから面白く見た。