- 出版社/メーカー: 角川映画
- 発売日: 2004/08/27
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ロバート・アルドリッチ68年作。
原題「The Killing of Sister George」。アルドリッチ映画のタイトルはどれもかっこいい。
ベテラン女優バックリッジ(ベリル・リード)は人気ドラマで長年主役をつとめているが、実生活では役柄の「優しい中年婦人」と正反対の大酒呑み。素行の悪さを理由に降板をほのめかされると、若い愛人アリス(スザンナ・ヨーク)に八つ当たり。仕事も私生活も泥沼と化していく。
酒場を出たジョージ(役名だが皆にそう呼ばれている)が路地を歩いて、歩いて、家に帰るオープニングに、まずドキドキさせられます。
ジョージはキャリアもあれば演技もうまい(という設定だけじゃなく、この女優さんがほんとに上手い)が、気分屋で嫉妬ぶかく、口をついて出るのは下品な悪態ばかり。
彼女が面倒を見ているアリスは、山のような人形を手放さない、素直だが子供っぽい娘。愛くるしいモンチッチ顔だけど、よく見ると肌に疲れが…というのは決してキャスティングミスではなくて、ジョージがキレて言うには「孫がいてもおかしくない32の年増」←「15のときに子供を産んでいる」ので。終盤彼女の年齢が明かされると、二人の長い年月を思ってくらくらする。
女が二人で暮らしていれば一緒に食事する場面がありそうなものだけど、そんなの一度も出てこない。ノドを通るのは酒ばかり。来客にお茶を出しても、ゴタゴタでほぼ手付かずに終わってしまう。このへんはアルドリッチだからなのか…(笑)
ともかく、そんなこんなで二人の間は殺伐としてるんだけど、昔を語るときだけは顔があまく輝く。
「悪い人ね」
「言って、もう一度」
「…悪い人ね」
「ああ、その言い方、昔と同じだわ、初めて会った頃と…」
明け方の薄暗い部屋でこんなやりとりをする二人。思い出にすがるしかなくなったら、少なくとも恋は終わりだ。
二人の住まいは暗い。石畳の道に面したドアを開け、狭い階段を昇ると、陽の差さないリビング。壁紙は薄汚れ、家具もごちゃごちゃしている。
最後にアリスが「きっと真っ白な家よ、陽があたって明るくて…」と夢みるのもよくわかる。しかし彼女は自分で窓を開けようとはしない、ただ誰かが連れ出してくれる、その時を待つだけ。
アリス=スザンナ・ヨークのファッションが私としてはかなり好みで、見所のひとつです。ブロンドのショートヘアにピンクやブルーのベビードール(ベビードール大好き)、下着やスリッパもお揃いで、とても可愛い。
一方のジョージは、実用的なツイードのジャケットスーツ、上着を脱ぐと地味な丸首シャツ。ジャケットを背中にかつぐ仕草や座ったときの脚の開き方などから、彼女に(少なくとも演じてる女優の意識としては)「男」の部分があることがわかる。
(A「男なら誰だってヒゲがあるわ!」
G「それは私への当て付けのつもり?!」
そして後の仮装時に彼女はヒゲをつける)
ジョージが公の場でとんでもない言動をすると、皆が一斉に凍りつくわけでも吹き出すわけでもなく、かたまってる人もいれば、笑いころげる人もいる。そこに流れるのは、予定調和とはほど遠い妙な雰囲気。
アルドリッチの映画には結構そういうところがあって、この作品においても、たとえばジョージが愛人を失うのを怖れて取りすがるくだりは一見哀れを誘うが、同情や共感が暗に強制されるわけでもなく、断罪されるわけでもなく、ただ物語中の現実が通り過ぎてゆくだけ。
そもそも、全く周りに溶け込もうとしない主人公というのがアルドリッチのキャラクターらしい。彼女は芸に関しては、知識も技量も秀でている。しかし、かたくなに、おキレイなことを拒むのである。