アナザー・ハッピー・デイ ふぞろいな家族たち



冒頭、真っ暗なスクリーンに、兄弟のやりとり。会ったことのない?実の母が「美人」かどうか訊ねる弟ベンに、兄エリオット(エズラ・ミラー)は「物事は主観でしかないから、何とも言えない」と答える。冷たいわけではなく、理屈でものを考える人間なのだ。観ているうちにベンも同じだと分かってくる。中盤、現在の母親リン(エレン・バーキン)にあることについて「私が悪いの?」と聞かれ、理由を述べたあげく「だからお母さんのせいだね」。でも「嫌い」ってわけじゃない。その後のリンの「I love you!」がいい。


母親リンと息子二人が向かうのは、彼女の両親(エレン・バースティンジョージ・ケネディ)が暮らす「実家」。前夫ポール(トーマス・ヘイデン・チャーチ)に引き取られた息子ディランの結婚式が目的だ。式にはポールと現妻パティ(デミ・ムーア)や実の娘のアリス(ケイト・ボスワース)らが来る予定だが、「情緒不安定」なリンの心はひと時も休まらない。
何というか、生真面目さが「分かっちゃう」、例えば深刻な場の背景に男の子が尻を掻きながら入ってくるのが「あざとく」見えちゃう、そういう感じ、加えて音楽がズレてる上に大仰な感じを受けた。それでも真摯さにやられて、次第に心がゆるんでくる。


リンが親戚の女性に「No one cares!」と大きな声で(もっとも彼女はいつでも声がでかい)言われちゃうのが本作のテーマみたいなもので、誰も気にしてなかろうが、自分は気になる、逆もまたしかり、そういうことなのだ。でも、そんなセリフに「そうだよな、傍から見たら馬鹿馬鹿しいことばかりだよな」と思ったせいか、式の直前にリンとアリスが涙を流しながら語り合う場面など、少々滑稽にも見えてしまった。そういうふうに、観る「幅」の持てる映画って悪くない。
リンに言わせれば「『ターザン』みたいな格好!」のパティ(ぴたぴたワンショルダーがお似合いのデミ)に対し、リンの方は体の線を出さないドレス、皆の前で話す際には短めの袖を懸命に引っ張って肌を隠そうとする。娘のアリスはとある事情で、始めから袖の長い服を着ている。彼女の髪は「ぼさぼさ」ってことなんだよね?(笑)


中盤、エリオットは祖母に対し、二人きりの朝食の席で「911の時は家族の『絆』を感じた、皮肉なもんだ、悲劇が起きた時こそ『絆』を感じるなんて」と言う。しかし彼はその後、夜中に祖父の容態の急変、すなわち「悲劇」に近付く場に居合わせると、ショックで身動きが取れなくなる。「理屈」じゃない、実際に誰かと一緒の場に居てこそ「分かる」ことってのがある。その時は冷静に見えた祖母にしても、アリスの出席について言い訳するリンを突き放しておきながら、実際に孫の「傷」を目の前にすると硬直してしまう。
しかしこの物語は「皮肉にも」、エリオットの言う通りの結末を迎えるのだった(ラストシーンの、車内の夫婦&息子の様子!)


カウンセリングを利用している(ことを身内に陰で揶揄されている)リンを始め、彼女の息子は「薬物依存症」に「自閉症」、他の家族も色々な「病気」を抱えているけれど、私には病名の無いリンの夫が一番「病気」に見えた。だってパーティの席で、妻があんなにダウンしてるのに気付きもしないんだもの。
でもリンが就寝前のベッドで、自分の話を全く聞かず違う話を始める夫に対し怒りながらも、一拍置いて笑い出してしまう、ああいう場面はいい。少なくとも今は、彼女にとって彼は「許せちゃう」存在なのだ。そういう人がいるって幸せなことだと思う。
また印象的だったのは、リンの母親が夫について「病院は彼の気分をよくすることしかできない、そんなの、私がずっとしてきたことよ」、パティが継子のディランについて「私がずっと育ててきたのよ、学校に送って、汚れた服を洗って、夜中には背中をさすって…」なんて言う場面。特に子ども相手じゃ「世話」することが関係作りになるのは致し方ないけど、そういうものかとむなしさを感じた。


エンドクレジットで、主演のエレン・バーキンがプロデューサーだと知って驚いた。なるほど力が入ってる訳だ。彼女のトイレシーン(「パンツ」やおしっこの「音」がしっかり映る)や大股開いて薬塗るシーンなどは、今の流行りに乗ってるのかな(笑)私としては在っても無くてもどちらでもいいけど。