マイ・フレンチ・フィルム・フェスティバルのオンライン上映にて観賞。2023年ベルギー、ゼノ・グラトン監督作品。主人公を演じるハリル・ガルビアがオゾンの『苦い涙』と全く違う役であるところが面白い。役者はどんな役でもやれるという意味ではなく、多くの映画でマイノリティとされる属性を表しているほどちょっとした切り替えで全然違うキャラクターになると分かるからだ。
「教官はぼくらのことを何でも知ってるのにぼくらの方は名前しか知らない、彼氏とかいるんですか?」…フェンスと監視カメラに始まるこの映画の少年院とはそういう場所である。恋に興味があるのかどう思っているのか窺い知れない教官ソフィー(アイ・アイダラ)だが少年らのラップには「恋ってすてきだね」と声を掛ける。そういう仕事である。私にはこの、世間、判事、そして少年達との間に位置する立場の矛盾とままならなさがひたすら心に残った。
少年院は少年達の「目的」が外にあるとの前提で存在している。彼らが罪を犯した場で再び生きていくようにするためで、支援に内在する愛もそれ自体が彼らの目的にはならない、なってはいけない類の愛である。外に目的のないジョー(ハリル・ベン・ガルビア)は停滞し、出所を控えても脱走を繰り返していたが、内で目的となる愛を知る。ソフィーが「外ではいいけどここではだめ」と言うその外というのは彼が親から愛を得られずアラブ系だからという理由で警官に止められてばかりの、尊厳を持てない場所である。そんなところで愛が生き延びられるだろうか?この映画は内では同性愛差別は皆無だと極めて意識的に描いているが、外ではそうでないという意味なのか否か、私には分かりかねた。