結婚は慎重に!


インディアンムービーウィーク2020にて観賞。2020年、ヒテーシュ・ケワルヤー監督、アーユシュマーン・クラーナー主演。同性間の性行為を「不自然な違法行為」と定めた刑法377条につき、2018年にインドの最高裁判所憲法違反の判決を下した事実が下敷きになっている。

始め「彼のパパ対『ぼく』」という話かと思っていたのが「彼のパパ対『うちら』」になっていき、最後にパパも「うちら」になる。アーユシュマーン・クラー演じるカールティクが「ゲイになるっていつ決めたんだ」「あなたは異性を愛するといつ決めたんですか」「それもそうだな」なんて(実際にはそんなふうにすんなりいくはずのない)叔父とのやりとりからレインボーカラーを纏っての「彼は病気なのだ!その名はホモフォビア」まで、あくまでも正攻法で作中の人々を、観客を説得する道のりが描かれる。変化の過程において、女性は自らの境遇に、男性は自らのものの見方に疑問を抱くという差異があるのが心に残った。

私には始めカールティクとアマン(ジテーンドラ・クマール)が恋人同士だと分からなかった。この物語では二人の愛はただただその正当性を訴えるのに費やすエネルギーの元なのである。しかもアマンの方は終盤まで父親に反旗を翻せないため、「ぼくらは毎日闘っているから(アマンの)家族とは闘いたくない」というカールティクが更に一人ふんばることになる。そもそもこの労力をマイノリティ側が担わなきゃならないのかとどうしても思ってしまうけれど(例えば「女性問題」だって男性の問題なんだから)、これはヒーロー映画なのだった。

作中最初にアマンの父シャンカル(カジラージ・ラーオ)が登場するのは、ヒーローに憧れる幼い息子を殴打している姿。何ということもない回想として描かれているけれど心に刻みつけられたものだが(本作の暴力描写が軽々しく見えるのには引っ掛かる)、結局この映画は全編通して「口ごたえするのか、まさか父親に?」という存在との闘いなのだった。冒頭の恋人同士のバイクの二人乗りに来た来たと思っていたら、最後にこのパパを挟んでの三人乗りになるのが新鮮でいい。

アーユシュマーン・クラーが「セクシーに入場できる曲」での一幕もいいけれど、私はびしっと決まったソロや群舞より、この映画で言うなら結婚列車や会場といった「密」もいいところでの、自分もその場にいたら参加でき「そう」なダンスシーンが好きだ。