約束の宇宙


アリス・ウィノクールの映画は「裸足の季節」(脚本)、「ラスト・ボディガード」、本作いずれも女が家から出る話である(「ロシアはすごく遠いけど地球にある」じゃないけど、本作での家とは地球のこと/「博士と私の危険な関係」は未見)。異なる主題を扱いながら全てにその要素が絡んでいるところから、「女が家から出るのには支障がある」ことがはっきり分かるとも言える。

主人公サラ(エヴァ・グリーン)が訓練しているVRの画に娘ステラとの算数がどうのこうのというやりとりが重なる場面など、文にすると、いや、実際に見たところで大したことないのかもしれないけれど、見ている時には大変に素晴らしかった。「ラスト・ボディガード」の監視カメラの映像しかり、主人公の見るもの聞くものが映画と一体になっているのが面白い。

心拍数が上がっちゃだめ、怪我を治さなきゃだめ、そんなこと制御できるんだと凡人は驚かされてしまう。才能と熱意がある女性が男ばかりの中で体験する辛苦を丹念に描いているという点では、本作は「野球少女」にも似ている。どちらも実際はあんなもんじゃないに違いないけれど。それでも訓練所に着いた直後の「特に何があるわけでもない」がひりひりしてるあの感じ、嫌だけどよく分かる、しっかり伝わってくる。

サラの元夫(ラース・アイディンガー)の「相談じゃなく決定してるんだろ、おれが面倒見るってことに」。口に出せない女がどれだけいることかと思うけど、このセリフが無かったらそんな問題があると提起できない。彼と娘が訓練中の彼女に会いに来るのに一度目は「飛行機に乗り遅れそうになって焦った」上、隔離前のパーティーの際には実際に乗り遅れてしまうのは、物事というのは家族のうち一人は「ひま」な人がいるという前提で決められているのだという訴えに思われた。

宇宙飛行士マイク(マット・ディロン)が妻と息子二人とセルフィーしている姿が挿入されるのが強烈で、あれこそ社会が想定している「家庭」であり、そうじゃない家庭はどこかで耐えなきゃならない。加えて前者の中でも耐えてる人はいるわけだから(マイクの妻の「うちは子守は私」にうっすら感じられる)、そんな想定、誰のためにもならない。

子どものいる男性宇宙飛行士の話はあっても女性飛行士の話は無いからというので作られたんだろうけれど、実際を反映させれば当然ながら女ゆえの苦労が描かれることになり、それは現在の世の中では、これではいけないからこうしよう、ああしようというんじゃなく母は大変だ、でもって偉大だ、という物語として受け止められてしまっているように思う、宣伝などを見るに。「パパとママとは違う」とはどういう意味合いのセリフだったのか?