冒頭に置かれたウェリントン公の補佐官ビング将軍と内務大臣の「軍人として育てられたので政治に関心はありません」「いいことだ、私もそうだ」とのやりとりで、(国の軍隊もおそらく義勇軍も)軍とはどのようなものかがまず語られる。トップは自身の愉しみにかまけ、政治に関心を持った元軍人は義勇軍の手で殺される。
この映画には奇妙な、というか他の数々の映画にはめったに無い手触りがある。表情や言動から過去や感情が逐一分かる登場人物に生々しさを感じない。容易に中が覗けない。実際に生きていた人々だからこそ、マイク・リーの真摯なやり方で描くとそうなるのだろう。映画の最後、新聞の見出し(事件の名称)について話し合いながら職場に戻る記者達の姿には、私達が何かを通じて何かを知る時、そこには誰かの手が介在しているのだということが描かれている。
誰かの言う「現実を見ろ」とは大抵強者が弱者を搾取するのは仕方ないのだからあきらめろという意味だが、見て認めるべき現実というものがあるとしたらそれは人は複雑で物事は掴みにくいということであり、マイク・リーはそれこそを描く作家だろう。この映画ではその特質が存分に発揮されている。一様でなかろうと全ての人々の権利は生まれながらのものであり、決して「懇願して」いただくものじゃないということも伝わってくる。
マンチェスター・オブザーバー紙のオフィスにて「人には三種類ある、知を愛する者、勝利を愛するもの、利得を愛する者」というプラトンの言葉を記事に加えようとの提案が「そんなことは関係ない」と却下される。かつて七日間のストをしたが殴られて終わり、という経験をしたネリー(マキシン・ピーク)は婦人集会に赴くも「何を言っているかわからない」と抵抗し座ろうとしない(…と書いたけど、教えていただいたのですがここで抵抗するのはクリスティン・ボトムリー演じる無名の役の女性だったそうです、その後の解釈が違ってくるので見直してみたい)。このように「伝えんとする」に対する「分からない」が執拗に描かれる。齟齬というのでもない、これもまた監督らしくて面白いと思った。