エターナルズ


まずはBTSの曲を使用した初の「日本で劇場公開されたアメリカ映画」として記録。ボリウッドスターとなったキンゴ(クメイル・ナンジアニ)が、撮影中に彼を呼びに来たセルシ(ジェンマ・チャン)、イカリス(リチャード・マッデン)、スプライトの前で「BTSも出演するのに」と嘆いてみせる。その後にプライベートジェットで他のメンバーの元へ移動する際に機内でずっと流れているのが「Friends」。ジミンとVが「ぼくら違うけど、永遠に(「この歓声が消えても」、すなわちステージを離れても)一緒だよ」と歌う曲である。
BTSを初めて使用した「ファイティング・with・ファイア」(2019)がジョン・シナ演じる「有害な男らしさ」を持った森林消防士が子ども達の影響で聴くようになるという話であることを踏まえても、今のところ彼らは世界の新しい要素の表現として機能しているようだ。いや、今回は若い世代の女性(クロエ・ジャオ監督)が大作映画を軽々と自分の好きなもので埋め尽くした、彩ったという意味合いの方が強いかな。

男が大勢出てくる映画は星の数ほどあるけれど、男にも色んな男というか人間がいるということを描いている映画は実はそう多くない、それを描くことがつまるところ女の映画を成立させる場合もあると気付かされた。常に誰よりも高い位置を保ち、自分こそリーダーにふさわしいと信じ「決められたもの」に従うイカリス、当初より指令に疑念を抱きイカリスの何たるかを「ぼくを魅了するのか、脅すのか」(返してイカリス「他にも方法はある」…それが何かは最後に分かる)と見抜いているドルイグ(バリー・コーガン)、イカリスを疑いもなくボスと呼び自分は彼に勝てないと思い込んでいるキンゴ、家庭を自身の居場所と定めた「ゲイ」のファストス(ブライアン・タイリー・ヘンリー)。そしてユーモアを持ち素直にセルシを待つデイン(キット・ハリントン)。
中でも私にとって面白かったのは、「愛する者を守るのは当然」と記憶の残存による混乱で周囲を傷つけるセナ(アンジェリーナ・ジョリー)を長い間ケアしてきたギルガメッシュ。マ・ドンソクは元々韓国映画においても常人ならざる力を持った上で男の世界から外れている役を何度も演じている。今年見た「白頭山大噴火」も(非力だけど)そうなら「スタートアップ」もそう、こちらでは本作同様エプロンを身に付け料理していた。過去には「グッバイ・シングル」(2016)などでもエプロン姿でかいがいしく働いている。一目で分かる強大な力を自己のためには振るわないことでこそ何かが表現できると考えられているのだろうか。

中盤までは過去…大過去といっておこうか…が現在と同等の重量感でもって扱われているため足元が定まらず落ち着かなかったものだけど、次第に分かってくる。あの大過去は全てセルシの、「きれいな星ね」「ぼくはイカリス」「私はセルシ」に始まる、他者に支配されることがあってはならない記憶なのである。人間を知り、イカリスと愛し合い、仲間とばらばらになる。「私たちが死なないのは元より生きていないから」と悟った彼女にとっての生そのものであり、ゆえに「重い」のだ。
全編を振り返ると、これはセルシが自己を確立するまでの変化を辿る物語である。愛だけを持ち、ただ指令に従っていたのが、真実を知り、「怖くない、暴力の連鎖を断ち切るだけ」と自身の目的のためにより大きな力を身につけていく。その過程でイカリスの顔色ばかり窺っていた仲間、最後にはイカリスその人の支援や励ましも得て最大限の力を発揮する。道のりが大変すぎやしないかと思いもするけれど、社会の現実を写し取っていると考えたらうまく出来ている。