おかえり、ブルゴーニュへ



オープニング、何かと思えば映っているのは閉じられたカーテンの内。映画は窓を開ける少年に始まる。「子どもの頃、毎朝外を見る度に思っていた」との今は大人であるジョン(ピオ・マルマイ)のナレーションに、私と何かが同じで何かが違うはずだと引き込まれた。


「窓から見えるものは毎日変わると思っていたが大人になってみればそうじゃなかった、毎日同じだった」。物語が進むうち、少年の目に映っていたぶどう畑の折々の変化は「土地についていた」両親らの日々の手があってこそであり、それを拒否するようになった彼には見えなくなってしまったのだと分かってくる。これはその目を取り戻す、いや新たな目を得る話である。畑のみならず家だって、ハード(家の内装)もソフト(滞在する者)も変わってゆく。


ジャンが久々に帰ってきたのはいつぶどうを収穫するか決める日。今や死の床にある父と共に働いてきたジュリエット(アナ・ジラルド)は当初の意見を他人によってぐらつかされるが、一年後には自信を持って全てを断言し、「人の上に立つ」ようになる。その前のシーンで彼女が作りたいと口にする「繊細でエレガントなワイン」が作中初めての「未来のワイン」。どんなだろうと味を想像した。そうだ、何だって理想がなくちゃ。


次男ジェレミー(フランソワ・シビル)のように「最高の父親だった」とはとても言えない長男ジャンにとっての子ども時代が、冒頭のブランコのシーンに表れていた。真ん中に乗るのは彼だが漕ぐのも彼、弟と妹はその上に乗って勢いをつけるのだ。


作中では、三人の両親が早々と亡くなったのは何とかいう薬を畑に散布していたせいだというふうに描かれており、もう子も生まれている彼らはその使用を強く否定している。クラピッシュの久々の映画が命の大切さを訴えてくるのが面白くもあった。