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映画は意表を突かれる音で始まり、マーゴット・キムの16年がPCの普及の歴史と重なっていることが分かる。以降私達が見るのはほぼ父親デビッド・キム(ジョン・チョー)が操作するPCの画面だが、冒頭に示される「家族の歴史」はかつての(彼の手によるものばかりとは限らない)操作の集大成であり、このことが、これが「普通の」映画であると教えてくれる。ズームあり音楽ありの、カメラではなくモニターをいじる神による映画なのだと。


(以下「ネタバレ」あり)


制約を設けたために却って工夫の数々が楽しかったろうなとこちらも楽しくなる反面、映画ってずっと何かが映ってなきゃ、あるいは変化がなきゃダメなのかとも思ってしまった。例えば取り調べにおける犯人の話の最中、とある人物から電話がかかってくるという時のスマホの画面とか、ああいうの、見なきゃなんないの?かなり苦痛だった(ちなみにこの終盤、取り調べの映像とニュースの映像の時間を逆にしているのは大胆かつ効果的ないじりだった)。


冒頭デビッドはキムへのメッセージに「ママもそう思ってるよ」と入力するが消してしまう。YouCastの保存映像の中でも「ママ」という言葉を発することができない。そんな彼がその言葉を言えるようになるまで、愛する人の死を愛する人と共有することができるようになるまでの話である。マーゴットの側からすると、PCの壁紙を母親と二人の写真から父親との写真に変えるまで、すなわち死者を死者を認めることでまた生き始めることができる話とも言える。作中積極的に「善い」ことをするのは彼女だけなので、善がその命を永らえる話とも取れる。


デビッドが妻の残したファイルから娘の中学時代の友人に連絡を取る時、選ばなかった一つに「親は警察、マーゴットのことが好き」とある。妻ならばローズマリー刑事(デブラ・メッシング)から連絡が来た時に一つの可能性に気付くことができた。「好き」だなんてたった一言で表せることが、PCにどれだけつぶさに当たっても分からない。そういうこともある、という話でもある。