ニーゼと光のアトリエ



1940年代のリオデジャネイロの精神病院で、「芸術療法」を取り入れんと闘った女性医師ニーゼ・ダ・シルヴェイラの姿を描く。


映画が始まってしばらく、動物が鳴いたり乗り物が走ったりといった「のどかで平和な」音だけが続く。そこへバスがやってきて、「画」が出ると、スクリーンいっぱいに鉄の塀が在る。「リアル」に揺れている映像に戸惑う。一人の女が一つのドアを、始めは服装を直しながら、次第に反応の無さに激しく長く、何度も叩く。次いで「ニーゼ」…とタイトル。


塀の中の建物は廃墟のようである。後ろ姿を追うカメラが次第に近寄っていき、やがて私は、彼女と一緒に、彼女はそうは呼ばない「patient」達を見る。奥の会議室に入り、皆が振り向くところで、ようやく女、ニーゼの顔を見る(グロリア・ピレス)。白衣を着込みただ座っている白人男性の群れの中で、一人ノートを取り出す彼女の赤いスーツは「生」の象徴のように感じられる。以降も彼女が前をはだけたり、襟から襟を出したりして見せる私服が暖かく感じられる。


勤務初日、「(医師でなく)看護師に任せてある」作業療法部に足を踏み入れたニーゼは、白衣を脱いで掃除に取り掛かる。ゴミを片付け、覆いを外して窓を開け、光と風を入れる。当初は動物園の檻の中だったようなそこが光に満ちると、今度は病院が彼女の活動を檻の中に閉じ込めようとする。彼女は院長が去った後、力を込めて扉を開け放つ。個人がやれることは「部分」でしか無いが、それを「部分」に押し込もうとするのは抑圧である。


「病院」の目的はまず「治療」である。ニーゼは「芸術に興味のある」看護師や芸術畑のスタッフに、絵に「名前と日付」を記録しておくことや展示会で順に並べることの大切さを指導する。「口を出さず、話を聞き、観察すること」と繰り返す彼女が「client」達を見る顔付きは常に、何と言うか豊かで力強い。「人生の部屋」を完成させ、遂に「開いた窓の向こうに外が見える」絵を描くフェルナンドとその顔を見つめる彼女、二人が並んだ後ろ姿のカットは印象的だ。


温かい「そこ」には厳しい孤独がある。それは「プロ」が人と触れ合う他の場、例えば「学校」にも無いものだ。ニーゼは「家に連れて帰ったら絵を描かせます」という兄夫婦に懸念を示し、「自分は留学するが必ず戻ってくる」と告げたスタッフを「彼は独りなのだ」と叱る。そうした孤独をしばし忘れられる、いわば「横の繋がり」が、ユングの本を読むこと、あるいは彼との手紙のやりとりなのかもしれない(「私を男だと思ってる、彼も女性差別者なのね」という彼女の諧謔が、可笑しく胸を打つ)


ニーゼは自宅で猫を飼い(「おしっこをかけられた」という夫に対し「そんなことしない、おりこうな猫だもの」と言い猫達を自分の体に乗せるのが心に残る)、音楽を聞き、食事をし、夫と触れあう。仕事中でも、例えば「ピクニック」へのバスの中で陽の光と風に触れれば笑みがこぼれる。理不尽な被害を受ければ大声で叫びもする。こうした「効果」は誰にとったってまやかしのはずがない、と思う。


「ブラジルで最も有名な芸術評論家」は「これは芸術や政治の領域でも大きな革命だ」と言うが、領域を跨ぐ物事は、一つの領域の中では評価が遅れるのかもしれない。もしかしたら恐れられて。院長は「うちのロボトミー手術の成功率は欧米に迫っている」と誇る。同僚は「君の患者は一体いつ治るんだ」と詰め寄る。ニーゼが「看護師が担当する」仕事に就くことにつき、院長も夫も「勿体無い」「評価にならない」と残念がる。私にはこの映画は、「時間がかかることを恐れないで」というメッセージに思われた。


映画は晩年のニーゼのインタビュー映像で終わる。「道は一万通りもある、時代のためにどう闘うか」「私達は、ゴミのように扱われていた人々の人生の豊かさを取り戻すために闘った」。そして少しふざけた感じの「録画してるの?」。腰掛けた彼女の、シフォンのような、生地も色も柔らかいスカートが心に残った。