みかんの丘



オープニングは削られる木と、その作業をする手。かなりの粉塵で、次いで映る主人公イヴォ(レムビット・ウルフサク)の横顔はゴーグルを付けている。箱を作っているようで、外に出ると幾つも置いてある。小屋の中でとるパンとチーズの食事(自分で作っているのかな?)、ラジオから戦況のニュース、しかし近くで実際に銃声が聞こえ、話が始まる。


みかん作りに勤しむマルゴス(エルモ・ニュガネン)は彼に比べれば臆病で、異変を察すると木の中に隠れる。しかしイヴォが現れて声を掛ければ、あるいは銃撃戦の後にまだ生きている者がいると知れば、出て来て手伝う。イヴォの全てに手慣れた感じは(この映画の冒頭では「処理」を楽しむ、また「処理」の中にも人となりが表れるのを実感することができる)これが「ハリウッド映画」なら過去に「軍人」、あるいは「スパイ」だったのでは、というところだけど、作中、見られると困る車を処理した三人の男が「爆発するかと思った」「あれは映画だ」と言い合うのを思い出し、彼は「普通」の男なんだと思う。


冒頭、イヴォは作業小屋に押し入って来た兵士(達のリーダーらしき男)に開口一番名前を聞かれる。一方彼が助けたチェチェン兵のアハメドは、食卓に座れるようになり、イヴォに俺の名を聞かないのか、と言われて初めてそれを問う。それより先に「何か」があれば、名前は要らないこともある。作中、ほぼ無人の集落に住みながら、しかも押し入ろうと思えばすぐに押し入れる程度の庭の扉をイヴォがきちんと開け閉めするのが印象的だったものだけど(一方マルゴスはフェンスが壊されたことを嘆く)、多くの人は、「何か」どころか扉を開ける暇も無く殺されるのだ。


それは「老人」と「若者」の間の断絶にも通じる。イヴォは兵士たちに「老人扱い」される。冒頭の男達は「勇敢なのに老人なんて残念だ」と言い残すし、アハメドは「老人は敬う」と口にする(イヴォは後の会話でお返しのように、冗談めかして「若者には関係ない」と返す/かの地では老人でも兵士である者もいる、それはそれで理由がある)。そこには主に若者の側からの線引きがある。しかし最後にイヴォは自身の「理由」を明かし、老人が若者に伝えるべきことを言う。その結果が、あの少しの希望に満ちたラストシーンなのだ。