誰よりも狙われた男



フィリップ・シーモア・ホフマン最後の主演作。ル・カレによる原作は未読。



「私たち、無理しすぎじゃない?」
「今はそんなことを言っていられないんだ」
「いつもそうじゃない」


(以下の文章が「ネタバレ」となる可能性もあるので、見る予定のある人は読まない方がいいかも)


冒頭からずっと苦しそうだったフィリップ・シーモア・ホフマンの息が、二度の「Fuck!」の後にはもう聞こえない、その根を止められてしまう。映画の中の彼はまた息を吹き返すのだろうと思うけど、「彼」の息は消えた、そういうふうに見てしまった。作中唯一の笑顔には、その状況も加わって、もしまたこの映画を見ることがあったら、辛くて目を伏せてしまいそう。


作中聞こえる息遣いは、フィリップ・シーモア・ホフマン演じるギュンター・バッハマンのものだけではない。彼の部下のイルナ(ニーナ・ホス)は見張り中に「仕事」のキスをして顔を押し返された後に、弁護士のアナベルレイチェル・マクアダムス)は爪先立ちの男に母の形見を見せられた後に、銀行家のトミー(ウィレム・デフォー)は「驚くべきこと」があっての帰宅でよそよそしい妻からのキスを受けた後に。
トミーがスコッチを飲み干し氷を放るのは、彼が自分の自由に出来ることが、もう「それしかない」から。後の「お前のためじゃないからな」がせいぜいの捌け口だ。二週間前に見た「ファーナス」での彼は「デフォーさん人形」だったけど、本作の彼は、最高とはいかずとも十分だ。


私はスパイものって何をしているのか分からず入り込めないことが多いんだけど、本作はオープニングに文章で仕事内容をはっきりさせてくれるのが嬉しい(笑)加えて誰もが「息を吐」いていながら、映画はギュンターを程よく「主役」に仕立てている。そのことにより、筋書きが明快になっている。
「主役」に焦点を当てようとその外側で尚溢れる情感、主に「恋心」が味わいを添えている。「脇役」の心の内は「肉体的」に分かりやすく表現される。トミーは心惹かれたアナベルを思わず名前で呼び、以降も同じ場においては彼女から離れない。アナベルは青年イッサと触れ合い通じ合う。「最後」に彼女が迎えに来た際、彼が食事中の口に指をあてて押さえる仕草が心に残った。


スパイの下部組織のリーダーであるギュンターの仕事は、「確証を得るために『努力する』」こと。CIAのマーサ(ロビン・ライト)と待ち合わせた店で、彼は男が女を殴るのに遭遇する。「確証」を得た彼は自ら制裁を加える。どちらも普段ならば手の届かないことだから、その拳は激しい。しかし女の方が割って入り、二人はダンスを始める。彼の行動は徒労に終わる。物語の結末を予見しているかのような一幕だ。
ギュンターは自分達について語っていわく「法律を守ってばかりじゃないから姿を潜めている」「誰からも知られていない、誰からも嫌われている」。冒頭、「大きな魚」であるアブドゥラ博士の講義から抜け出すギュンターに、当の博士も列席者も目をくれない。アナベラに「そういえば禁煙中だったな」と言っても、彼女は一度顔を合わせたことを覚えていない。


オープニング、下水か汚水かと思っていた水面が波立ち、海だと分かる。港に青年が這い上がる。船を背にした車の群れ、憲法擁護庁の向かいの戸口の群れ、銀行の金庫の群れ、階段を上る人影の繰り返しなど、作り手の好きな画がダマになっている、固い印象を受けた。
拉致監禁された部屋で壁の方を向いてベッドに横になったアナベルの、「壁からの」どアップには一体何なんだと戸惑ってしまった。後に自宅のベッドでやはり壁の方を向いて煙草と酒を煽るギュンターとの対比かな、などと考えた。彼の顔は見えず、あまりに壁すれすれすぎるし、その大きな無防備なシャツばかりが画面を占めるのも異様だ。私が初めて「知った」フィリップ・シーモア・ホフマンは、ぴったりしたシャツを着ていたものだと思い出す。