ロレイン(ヴェラ・ファーミガ)とエド(パトリック・ウィルソン)のウォーレン夫妻の姿が前作と同じく「新聞記事の写真」になり、オープニングタイトルを挟んで「London Calling」(!)に始まる「1976年のロンドン」のコラージュ、やがてカメラはその中の「ジャネット・ホジソン」(マディソン・ウルフ)を捉え、彼女の悲鳴でロレインが目を覚まし…と、ロレインとジャネットの時が交互に描写される冒頭から惹き込まれる。
映画において、こういう、いつか「交差」する(と分かっている)それぞれの道のりを見るのが好きだ。この映画は実に上品にやってくれる。心霊体験をする二人の女性の一方は子ども、一方は手練れだから、対応の違いも楽しめる(笑)
オープニングのアミティービルでの一幕で、家の中を「しっかりと、さまよいながら、銃を撃つ」ファーミガ様の優美な様子も期待通り。ウォーレン夫妻とホジソン一家の道がようやく交差する時、ブランコに並んでジャネットに語り掛ける彼女の、脚や腕の滑らかな動きにも目を奪われる。このシリーズの、決して「古き良き」といった型通りではない、気持ちのよい女らしさと男らしさにははっとさせられ、心惹かれる。「クライマックス」では、ホジソン家の中から「男らしい」能力(腕力など)が追い出される。エドのそれはアレでもって奪われ、もう一人の「男」は太っているために入れない。
ちなみにロレインがジャネットに初めて会う場面をカメラが窓から出て捉えるのは、オープニングで夫妻のあの部屋の窓からカメラが引いていくのと対になっているように思われる。後に夫妻がホジソン家を離れる時には、窓がジャネットと二人とを隔てる。
私はこのシリーズを「夫婦もの」として見ている。これまで見てきた映画の中でも、ウォーレン夫妻はかなり魅力的なキャラクターだと思う。作中何度もある、二人が目を見交わす様子がたまらない(でもってラストカットは目を閉じて抱き合う姿というのもいい)。「女が少女を助ける映画」は素晴らしいけれど、この映画の、「二人」が少女を救う様もいい。扉のこちらのロレインの「行かないで」は、例え悪魔が去った後に彼女がまずエドに駆け寄ろうと、私としては、「あなたが自分の責任の及ばないところに行くのが耐えられない」というふうに受け取った。
ギフトを授かった妻を夫が支えているようにも、妻が時に使うのを躊躇するその能力を夫が利用しているふうにもとれる、しかし肝心なのは、終盤の救急車でのやりとりからも分かるように、互いに「あなたのおかげ」と考えているところ。こういう二人は「末永く」一緒に居る可能性が高いと思う。
とても面白い映画だったけど、不満をあげるなら、幾つもの場面において、色々な人々が、起きて行動するのが遅すぎるってこと。「突っ込み」をしたいわけではなく、上手く言えないけど、そのせいで見ている気持ちをぶつ切りにされてしまった。それからこれは字幕の問題だけど、エドが歌う「Can't Help Falling In Love」の歌詞の日本語訳は、あれが「お決まり」なのかもしれないけど、何となく「違う」ような気がした。どう訳せばいいのか分からないけど。