阿部寛演じる主人公・良多の登場は、小手指行の「黄色い」西武池袋線の車内のドアの脇。わあと思っていたら、それどころじゃない西武線映画なのだった(是枝監督がかつて住んでいた清瀬の団地で撮影したんだそう)
アヴァンタイトルで母(樹木希林)と娘(小林聡美)が思い出して真似する父親の仕草を、最後に父親の服を着た息子の良多がすることになる。母と息子は共に、台風の夜に、心の底では「分かっていた」ことを受け入れ、朝を迎える。皆が、人生において「同じようなこと」を体験する。自身の離婚、親の離婚、珍しく「二枚目」ふうの橋爪功演じる「分譲」住みの「先生」が「昔テレビに出ないかと言われたことがある」と語るのは、良多が「漫画の原作の仕事をもちかけられる」のに似ている。加えて誰もが、「矛盾」と呼ばれてしまいそうだけど考えたらそりゃそうだろうと思われるものを抱えている。他の男の「小ささ」を揶揄する良多は元妻の響子(真木よう子)の後をつけ回し、響子は恋人(小澤征悦)が良多の本を読んだと聞き目を輝かせるが、良多が時間に遅れるとにべもない。
こんなふうに、とにかくお話やセリフが上手く出来すぎて、完璧でこまかいピースが敷き詰められているようで、その下に何があるのか、いや何かがあるということが私には掴めなかった。私は子どもの頃に特になりたいものが無く、しいて言うなら「遊んだり考えたりしながらのんびり暮らしたい」なんて思ってる程度だったから、良多が息子の真吾(吉澤太陽)に告げる「一番大事なもの」…「なりたいものになれたかどうかではなく、そういう気持ちを持つこと」や、宣伝文句にも使われている「夢見た未来」という文言にぴんと来ないというのもある。
アイス代わりの凍らせたカルピス、「印刷」された雪舟の掛軸、お店のじゃない「食べるラー油」、全てが「まがいもの」である。自宅でのコーヒーの淹れ方からして、母親がこれで幸せなのだと割り切っているのに対し、息子の方は「まがいもの」は嫌だとこだわっているようである(為に却ってあんなことになっている・笑)こだわったおかげか、最後に彼は唯一の「本物」を手にする。しかし私には、良多が持っている「本物」は、彼が「小説」を書くのに必要だと信じている「眼」と「心」のように思われた。作中最初の、はっとさせられるその顔のアップは、彼が「小説」の材料を捉えた時のものなのだ。
見ながらふと、先日NHKで見かけた星野道夫の著書「旅をする木」にまつわる番組を思い出した。この本はうちにもある。「海より深く人を好きになったことなんてないけど、だからこそ、毎日を楽しく生きられる」…人は「浅い」気持ちで動けるからこそ、幸せでいられる。団地から出ず「我慢」もしてきたであろう樹木希林演じる母親と、行きたい場所に行き切った星野氏が似たようなことを言うのが面白いと思うも、前者がそう口にするのは「当たり前」ではないか?とも思う。全編に渡ってそういう感じがしないこともなかった。