最近見たもの


アリスのままで



原作未読。最初の検診の場面でジュリアン・ムーア演じるアリスの顔ばかり映るのを妙に思っていたら、徹頭徹尾、彼女の視点で丁寧に見せる映画だった。
始めのうち、私も髪を伸ばし続けたら秋にはジュリアンのような髪型に出来るなあと(ルックスは全く違うにせよ!)思いながら見てたんだけど、その頭は次第に分け目が曖昧に、ぼさぼさになっていく(分け目って意思でもって決めているから、気を強く持っていないと、自然のままに戻るというか、曖昧になっていく)最後にクリステン・スチュワート演じる娘と暮らすようになり、お外用じゃないけどきれいに梳かされるようになったのが心に残った。クリステン自身の、一見ゴージャスながら身近さや気合いを感じさせる超お似合いの髪型も見どころ。これも最後には変化する。
ジュリアンとアレック・ボールドウィンの息子役のハンター・パリッシュは、アレックの今世紀最高の作品「恋するベーカリー」でも彼の息子役だった(しかも役名も同じ)似ているわけでもないのに変なの(笑)


▼フレンチアルプスで起きたこと


後半はあまりにあまりで笑っちゃうんだけど、こういう映画、事前に内容が分かればもう見なくてもいいかなと思う。男は子どものままで女はその「母親」になるというの、「人間の弱さや葛藤を」「ユーモアを交えて」描いたところでもう結構。キャラクターが男女逆で笑わせてくれるなら見てみたいけど、それは出来ないんでしょ?って感じ。
面白かったのは、冒頭から瀟洒なホテルやきちんと機能しているスキー場の「通常営業」ぶり、すなわち表の顔が示されるも、「事件」が起こるとホテルは掃除の音がうるさい、快適なだけの場じゃなくなり、スキー場は切り取り方により不穏に見える、そういう描写。知り合ったカップルを呼んだ食後の席で「妻」が語る場面では、あの雪崩が彼女にとってどういうものだったか、映画を通して「客観的」に見ている私には全然分かっていなかったと気付いてはっとした。事後に彼女が取る行動の数々が当然に思われた。
ラスト、ある人物だけがバスに残った(この映画がそういう描写をした)のは、「一人」で生きている者は惑わされないということかなと考えた。それがどういう結果になろうが。


チャイルド44



原作未読。どういう話かということはよく分かるんだけど、それ以上の何かが無いっていうか、ああいう時代において、皆が生きるためにやれることをやる、その中で生まれたドラマだというのは分かるんだけど、全然ぐっとこないというか。この豪華キャストでこの無味乾燥ぶりは罪でしょう!
冒頭、飢餓下の少年がトム・ハーディに「替わる」所であまりの情緒の無さに驚いていたら(でも続くタイトルの出方に「そういう映画」なのかとも思う)「旗」の後の新聞、「君だけだ」の後のベッド、とトムハ演じる主人公レオが這い上がりのエリートというより単なる間抜けにしか見えず、そのイメージのまま最後までいってしまった。自分がノオミ・ラパス演じる彼の妻の立場なら、ああいうパートナーを持っていたたまれないだろうなあ、と想像して楽しんだ。かっぱみたいな髪型、首の後ろのたるみ、鈍そうな表情、そうかと思えばやたら機敏なところもあったりして。冒頭から夫を全く好きじゃないのが見て取れる彼女が、一緒に居ることを決めるまでの心の揺れの表れが興味深かった。
ノオミが最後に子ども達に向かって「束縛はしない、自分で選んで」というようなことを言うのは、自分が好きでもない夫に言われたその言葉に「意味」を感じた、そういう思いやりや覚悟の形があると思ったからだろう。ああいうところは、原作由来なんだろうけど面白かった。