愛しのグランマ



「いつかは家庭を持ちたいし、子どもも欲しい
 でも今じゃないの、分かる?
 大学へも行きたいから、成績をあげなきゃ
 両立できる人もいるけど、私には無理」




リリー・トムリンの、「9時から5時まで」じゃないけど朝の9時からその晩までを描いた物語。とても面白かった。「レズビアン」で「詩人」の彼女が、妊娠したものの相手の男に中絶費用をもらえずじまいの孫を連れ、お金作りのために自らの、いや自分達の過去をめぐる。


オープニングは「endings(別れ)」。リリー・トムリン演じるエルは、恋人のオリヴィア(大抵の映画では「誰かの妻か母」だがここではそうでない、ジュディ・グリア)と揉めている。「あなたを愛しているけどもう無理」「あなたはひどい(terrible)」「愛していると言ってくれない」と叫ばれたエルは、自分の方が恐らく倍以上である、二人の年齢のことを口にする。オリヴィアを追い出した後、嗚咽しながらシャワーを浴びるその肩にトンボの入れ墨。「大切な」歯を力を込めて磨き、鏡に向かってガオッとやってみせる、そこで惹き込まれた。


エルが「詩人」ということもあり、この映画の魅力のかなり、いや殆どはセリフのやりとりに在る。「あなたはfootnote(脚注、すなわち38年連れ添った相手のような「本文」じゃない)」「ベティ・フリーダンは(カーテンをめくって魔法使いは偽物だと明かした)トトのような存在」などの、相手に伝えたいことが何であれぐっとくるエルの表現、後者につき「私は例えが下手」だなんて言うもんだから、「そんなことない、分かる、分かるよ」と口をついて出そうになった(笑)孫のセージ(ジュリア・ガーナー)はエルとオリヴィアの喧嘩を傍で見て「新しい悪態を覚え」るし、祖母から孫への「I'm sorry」、娘から母への「Thank you」なんてたったそれだけの言葉まで、鋭く優しく面白い。


エルは無論のことフェミニストであり、フェミニズムの名著の数々が小道具(という言い方もそぐわないけど)として出てくる、この映画は明らかな「フェミニズム」映画であり、彼女の主張は自分の気持ちを率直に表すものばかりだ。セージの「彼は妊娠していないから」に対する「そこが問題」「彼が妊婦だったら慌てふためいてお金を用意してる」、「元夫」のカール(サム・エリオット)に対しての「私の体は私のもの」「子どもが欲しかったけど、夫は要らなかった」など。勿論「率直」なばかりじゃない、言えないことも多々ある。


セージの妊娠は(セックスの相手の)彼の問題でもあるが、「今は(避妊しなくても)大丈夫」と言った彼女の問題でもある、二人の問題なのに彼女だけが背負っていることが間違いなのだ、とエルはまず明らかにする。彼から多少のお金を取って車に戻るなり「なかなかいい男ね、カリスマ性がある、惹かれたのも分かる」。カールは「11人の孫がいて」も「昔」にこだわる(エルとの会話の、見事な綱渡りのような素晴らしさよ)エルは彼に「ひどい」ことをした。かように何事も、「割り切れる」ものじゃない、これは当たり前のことである。


セージに「男は女より劣ると思う?」と聞かれたエルは「いや別に、私にも父親がいるし」と返すが、この映画における彼女の決断、「あなたには輝く未来を生きてほしい、あの頃の私のように、それが望み」と、端的に言うと「自分よりとても若い相手と別れる」ことは、世に溢れる「男」の物語へのアンチテーゼになっていると思う。エルがオリヴィアに「(低賃金の店でのアルバイトなんてやめて)正気に戻って学位を取りな」と怒鳴るのは捨てゼリフのようにも聞こえるし、そんなことを言ってどうなる(先立つものはお金だろう)とも思うけど、本当の「別れ」に際し、売れなかった本の数々をオリヴィアに「譲る」彼女の気持ちに胸打たれた。


映画の始めに出る文章は「時は過ぎる、それは確かだ」(エルいわく「アイリーン・マイルズは人生を変える」)。「(亡くなったパートナーの)ヴァイオレットがボランティアをしていた」無料の中絶手術施設は、「ドリップコーヒー」を出すカフェになっていた(「コーヒーは全てドリップなんだから言うまでもない」)。かつて体に痛い思いをした中絶手術も、医者によると今やそんなことは無い(「暗黒時代じゃないのね」)。最後に訪ねた場所で、エルはとある人物から「なぜもう詩を書かないの?」と言われる。でも言われなくたってそうするつもりだったのだ。この一日で、エルの止まっていた時間、意識もちょこっと進む。映画は彼女独りの笑い声で終わる。