パリタクシー


オープニング、タイトル(作中では「美しき旅路」と訳される)と監督クリスチャン・カリオンの名前が出たところでカメラは青い空を見上げる。シャルル(ダニー・ブーン)にそんな心の余裕はないから何かの予兆のようだ。外で待っていたマドレーヌ(リーヌ・ルノー)が彼のタクシーに乗り込む前に家を見上げるのは人生を振り返っているようだ。この映画の邦題であってもよい『92歳のパリジェンヌ』(2015年フランス、原題「最後のレッスン」)を見た際、家とは社会に繋がる場なのだと再確認したものだけど、それを踏まえると彼女が家を離れるのを嫌がるのはそれが絶たれるからかもしれないと思う(どちらの主人公マドレーヌも活動家である)。

「キスはオレンジの味なんだろ?」に「ちゃんと聞いてたのね、よかった」と返すマドレーヌの顔つきはこんな私の話を、なんてものとは程遠く、穏やかながら挑戦的にも見えた(この映画のリーヌ・ルノーの表情は全編素晴らしい)。自身について話したマドレーヌが当時の自分(アリス・イザーズ)と手を繋ぐ姿にふと、グロリア・スタイネムが一人バスでゆく『グロリアス 世界を動かした女たち』(2015年アメリカ)のような映画はやはり女が作るもので(監督ジュリー・テイモアの趣味も多分にあるけれど)、男が作るなら本作のように男が女の話を聞くというのが適切かなと思った。彼女の孫ほどの年齢(私と同世代)の彼は男が女にふるってきた暴力について知り得たことをパートナーとの関係に取り入れる。パリの建築物や街並みはもう同じようには見えない。彼の慟哭は生きることを教えてくれた相手がもう生きていない、ということに対する衝撃だろうか。

マドレーヌもシャルルの話を聞く。「仕事を変えれば?」「演劇を見ないだなんてもったいない」など彼女は彼女で彼のような者の境遇を、かつて自分を殴った夫の「おれが汗臭い労働者だからか」との鬱憤と同じものが彼の中にもあることを分かっていないが、先に乗せた常に自分が指示する側だと思っているようなやつとは違う目線で彼の職場たるタクシーの後部座席におさまって共にゆく。互いのことを話すうち笑いが生まれる。笑い飛ばす相手が「用を足すために停めた車にクラクションを鳴らすやつら」「信号無視で車を止める警官」「7時半にしてもう寝る時間だから急げと言ってくる施設のスタッフ」というのはあまりにベタだが(そもそも監督の映画はおよそそうだが)、そこからしか生まれないパワーもあるのかもしれない。