チャッピー



超面白かった!ニール・ブロムカンプの映画って、面白いけど何だかよく分からなかったのが、本作の最後に至り目が覚めたようにぱーっと「分かった」。「心」とは「体」とは何か?というんじゃなく、ただただ意識が肉体を凌駕していく。馬鹿みたいなこと言うけど、昔、意識だけの存在になりたいと思ってたことがあるんだけど、それはやっぱり、在り得ない。今んとこなのか、あるいは、とにかく。それじゃあどうするか?体と共に生きていくしかない、大切なのは意思の持ちようだ、と勇気づけてくれる。
でもってチャッピーが可愛い!車に乗る時に耳が下がるのが可愛すぎる。シャールト・コプリーによる声も動きもよくて、終盤ある所に討ち入る?時には、身に着いた「ギャング」の振る舞いが最高に映えていた。


(以下「ネタばれ」あり)


冒頭チャッピーが「現実」の前に置き去りにされ火を付けられ、更にムーア(ヒュー・ジャックマン)に捕えられ体を切断されるシーンで、何やら覚えのある感じが湧いてくると思いきや、それはバーホーベンの「ロボコップ」でマーフィが受難を受けた時のそれなのだった。何かを失えば失ったままである、自分は常に「無」と隣り合わせであるという恐怖。尤もブロムカンプの方がpositiveだから、その感じは薄く、あんなにも簡単に腕を付け替えることが出来るし、あんなにも簡単に「体」を乗り換えることが出来るわけだけども。加えてこの場面は、見た目(この場合「警官ロボット」という記号)による差別の問題もはらんでいる。
それにしても、「あなたの『中身』を愛してる」と告げる時、相手が「人工知能を搭載したロボット」であっても胸を指すという、あの「感じ」は何なのだろう。仮に頭を指すのは「失礼」にあたるという感じがしてしまう。その「感じ」は何によるのか、それは「古い」んじゃないかと思う。


しかし「胸」が「体」を意味しているとすれば、本作において人間らしきものの「中身」が胸に在るというのはそんなに変でもない。この映画では、「意識」と「体」が共にあることこそが重要なのであり、別々にしておこうとするムーアはそれゆえに敗れる。元軍人の彼が遠隔操作をするムース(外観はこれまた「ロボコップ」のED-209にそっくり)は終盤の闘いにおいて圧倒的な力で全てをねじ伏せるが、チャッピーが刺した弾に気付かず爆発する。「痛みや恐怖を感じる」ことは必要ないとムーアが却下していたためだ。「体」から自由なままの「意識」が「体」を操ろうとするのは、いわば「美味しいとこ取り」のようなものだと描かれている。
一方「人間よりも頭がよく、美術品を見せれば好きか嫌いか判断することが出来る」人工知能をインストールされたチャッピーは、教わらずとも腕を切断されることに恐怖を感じる(始めからそのように「出来て」いる)。彼が終盤一秒をも争う時に作業を中断させても「怖い」という気持ちを表す場面は、とても重要だと思う。


チャッピーの「創造主」であるディオン(デーヴ・パテール)が帰宅し、(「知能」を持たない)「お手伝いロボット」達に「元気だった?」などと話し掛ける場面において、作中の他の時とは異なる穏やかな音楽が流れる。終盤あまりに苛立っている際には、自分が机から投げ落とした物を「散らかしてはダメ」と片付けるロボットに見向きもしないが、ともあれ「平和」な時にはそれなりの時間を過ごしている。しかし、そのちょっとした穏やかな部分に留まっておれないのが彼の性なんだろう。生まれたばかりのチャッピーに「黒い羊」の絵本を持ってくることから、彼もまたはみ出し者であることが分かる。この映画は「黒い羊」達が家族になるところで終わる。
「宗教上の理由で」人工知能に強硬に反対しているムーアと、「ギャング」であるニンジャがそれぞれとある時に十字を切る場面からは、彼らが「神」を自分の都合でどのように解釈しているかが分かって面白い。しかしディオンにそういう様子は見られない。ムーアとディオンのキャラクターがきっちり分かれているので、この映画には「ロボットの三原則」が入り込む余地が無いのかな(笑)


ニンジャとヨーランディはとても素敵だった。私もヨーランディにベッドで絵本を読んでもらいたい!(彼女の言葉に聞き入るチャッピー、ロボットの顔のアップをあんなにまじまじ見たの、初めて・笑)「Mommy」のダイアンのカラビナ、本作のヨーランディの銃と、今年はスクリーンで下品で可愛いピンクが見られて楽しい。
ニンジャが「クズ」の設定ながら見ていてちっとも不愉快にならないのは、ヨーランディとの関係が「普通」だから。彼女の言うことを最後まで聞き、決して否定しない(なんて、少なくとも私の実生活では「普通」のことが、映画の中じゃそれほど普通じゃないから)。ディオンへの「ニンジャが帰ってくるよ!」なんてセリフも、彼を恐れているわけではなく単なる忠告なのだ。リモコンを奪おう、味方になるようプログラムさせようなどと提案するのも全て彼女。ニンジャをおそらく普段よりもずっと悪事に走らせている、「7日以内に大金を作らないと皆殺される」という設定が、この映画の中で一番「うまい」ところじゃないかな(加えてそのおかげで「ポンテタワー」も見られたし!)


ちなみに本作を見た翌日、オリヴァー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」を少し読み返した。この本はこの映画が捨てた、というか描かなかった部分、「機構と生命が交差する所」について語っているから。でも私は「チャッピー」達は、人間の人間たる所以であるという、病気にきっとなるのだと思う。


妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

妻を帽子とまちがえた男 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)