落語研究会 昭和の名人 七



チラシ入手時から楽しみにしていた初の「独演会」企画、「古今亭志ん朝独演会」。
銀座三越の夢むすびで可愛いお弁当を買い、東劇でお昼。ロビーの高座写真展では志ん朝の色んな顔が見られる。
このシリーズには毎回、公開すぐの週末に来てるけど、この日が一番人の入りがよかった。場内もとてもなごやか。隣の女性は「愛宕山」で山を登る志ん朝が扇ぐ度に自分も扇子を開いて扇いでいた。もしかしたら暑さを感じたのだろうか?


プログラムが「居残り佐平次」で始まるとは思わなかった。下地を持ってきた佐平次が後手で障子を閉めるのとか、紅梅との会話で目と目のやりとりするのとか、何度聴いても、音声だけじゃ想像も付かない。車をかついだり、箱を作ったり縫い物したりのほんのちょっとした手の仕草もいい。
「猫を呼んでください、いや芸者のことですよ」やら「行燈部屋へでも」やらのセリフからふと、佐平次がそちら側に居る、失われゆく時代の寂しさのようなものを感じるけど、最後の口上?からして、全てが何かから頂戴した知識なんだろうか?


「宗みんの滝」では、「『僕』ってほどの者じゃないですが」だけじゃなく(笑)二人の上下が入れ替わるのが確認できたのも嬉しい。これって「妙」な噺だ。色々あったあげく、向かうところは「すごいでしょ?」なんだから(笑)とっても「落語的」だと思う。考えたら殿様がすごい「眼」を持ってるというのも面白い。
枕でいわく、「名人」とは「怪談噺」のようなもの。「誰も知らないんだから」「信仰していれば幸せ」。「最近は落語の名人会というものも多く、てっきり名人が出るものだと思っていたら…」なんて、リアルタイムで聴いてたらさぞかし面白いだろうなあ、なんて箇所も(笑)


愛宕山」が一番面白かった、分かっちゃいるけどあそこまでアクション落語だったとは(笑)一八が傘にくっついた手を剥がす仕草には(映像内において)一番の拍手。山登りの際、一瞬拍手が起きるがすぐ途切れる、それすらいい効果を上げている。
この日をもって旦那と一八が、古典落語における「一番好きなコンビ」になった。コンビといっても愛や利害関係があるわけじゃない、腐れ縁というわけじゃない。旦那が「お前に見せようと用意してきた」と30両を懐から取り出す手付き、それを受けての一八の手付きが最高。「ムダって言えばお前を連れてこんなところに来てるのがそもそもムダなんだ」(笑)