ランナウェイ 逃亡者



ロバート・レッドフォード監督・主演作。原題は「The Company You Keep」、60年代から70年代に掛けて反体制運動に身を投じた仲間達と、「今」の彼らを追う若き新聞記者の姿を描く。
年に数本ある、見ながらスクリーンの中の情報量が多すぎて着いていけないと感じるタイプの映画だった。そういう映画は面白い、本作しかり。


主婦シャロンスーザン・サランドン)と弁護士ジム(当時は「ニック」/ロバート・レッドフォード)の登場シーンはいずれも生活感あふれる朝のキッチン。しかし窓の外を見やる彼女に対し、彼は仕事の電話に追われている。彼女の娘は「大学に受かった」が、彼の娘はまだ幼い。同様に「過去」を隠して生きていても、事情は人それぞれ。長年誰が誰を裏切ることもなかったが、「30年間ずっと監獄にいるよう」な思いをしてきたサランドンが自首を考えたことで、図らずもレッドフォードの「過去」が暴かれてしまう。彼はある目的のため、FBIから逃亡しつつ、かつての仲間達を訪ね歩く。
中盤「仲間」の一人であるドナル(ニック・ノルティ)が「酒と煙草をやめたらすっかり太ってしまって」と腹を叩く姿に、酒と煙草については知らないけど、ほんとにそうだよ!と思う(笑)役者と役をつい重ねちゃう、こうして感想を綴る際にも、役名じゃなく役者自身の名が付いて出る、そこがまず面白い映画。だから以下はそうする。


作中、最初に「活動家」として姿を現すのはサランドン。シャイア・ラブーフ演じる記者ベンを「あなたは真実を知りたがっているから、明快だわ、他の人は皆知らん顔」と指名し、獄中で心の内を告白する。当時は日本でも学生達が立ち上がっていたというセリフに、勿論「知ってる」ことだけど、ふと話が身近になる。それに続く彼女の「全国民に番号が振られ、順番を待ってたのよ」などという言葉の端々には、今の日本との繋がりも感じる。
一方レッドフォードはシャイアを「『中立』なら『公平』だと思ってるのか」と責めつつ、「30年前なら君も活動家になっていただろう」と評する。アナ・ケンドリックのシャイアに対する「ツイートでもしておけば?」、今は大学教授であるリチャード・ジェンキンスがレッドフォードとの会話で漏らす「学生達は学生運動の話に興味津々だが、facebookに書いて終わり」など、「若者」批判めいた台詞があるけど、シャイアはそういう「若者」とは、すごく違うわけじゃないけど結構違う。そこに「仲間」達、更に言うなら作り手のレッドフォードは惹かれているようだ。裁判の記事を書くのに「配信されるんだから(行く必要は無い)」と上司に言われても「配信なんてクソだ」と出掛ける。データでしか知ることのできないことはデータに頼るが(登記所の窓口の若者が、あふれるほどのデータを背にしながら何も「知らない」のが対照的)、「今」見られるものは自分の目で見たいという欲望。加えて呆れられるほどの執念。


レッドフォードがとある場所を何十年ぶりかに訪れた際の、風景のみで無人の、音だけが響いている回想シーンと、その後にジュリー・クリスティと再会した彼の瞳に光る涙、ああいう控え目な感傷っていい。イーストウッドと通じるところがある。
しかし感傷は感傷のままで終わらない。「あなたは老けたわね」「君は変わってない」という二人の会話が、決してそのままの意味じゃないという、シンプルなセリフの妙。翌朝、クリスティがレッドフォードの頬に触れる手、それから湖上のヨット。
この「湖上のヨット」を俯瞰で捉えた画が私にはとても70年代ぽく、もっと言うならレッドフォードぽく感じられてぐっときた。「事件」の起きたこのミシガンは湖に囲まれた「釣り」が名物の地域、長年そこに暮らすブレンダン・グリーンソンはヨットクラブが行きつけだ。レッドフォードは娘を連れて逃げる際、水族館に立ち寄ってゴマフアザラシを見るし、クリスティはカリフォルニアの海辺で「6回目」の人生を送っている。「仲間」は皆、なぜか水辺にまつわる場に引き寄せられている。それも「時代性」なのかなと思う。


気になったのが、シャイアの眼鏡。机仕事の時のみ掛けてるわけじゃなく、いわば彼にとっての「仲間」内である社内や街中でもそのままなのに、「取材」で人と会う時には外す。この場合の取材相手というのはレッドフォードやサランドン、シャイアにとって彼らは「しっかと見ちゃうと話がしづらい相手」なのだろう。同様に「取材」の一環であってもグリーソンに会いに行く時のみ掛けたままなのなのは…「ネタバレ」だから詳しくは書けないけど…彼がレッドフォードの「仲間」でありながら「仲間」じゃない、という立場によるものか。ラスト、放免されるレッドフォードに「会い」に行く場面では、眼鏡を掛けてしっかり彼のことを見ているのが印象的だった。
シャイアが超豪華キャストの面々と「会う」場面は、それまでとは違い、顔アップがじっくり交互に映し出されるわけで、彼の濡れたバカ犬みたいな瞳に私が魅了された。単にそういう、彼の瞳をじかに映したいという作り手の意思もあるのかな(笑)