レッド・バロン


第一次世界大戦で活躍したドイツ軍のパイロット、マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの半生を描く。
よく出来た「伝記」で楽しかったけど、遠近感に欠けるというか、こういう映画って途中でふと冒頭を思い出して「ああ遠くまで来たなあ」なんて感慨にふけってしまうものだけど、そういうのはなかった。



オープニング、大空を舞う飛行機を見上げ、両手を広げる少年。その身なりや「馬上」であることから、お金持ちの家の子どもだと分かる。またこの「両手を広げる」ってのが、何気に面白いなと思った。後に彼が「想像してよ、何もかも自由自在なんだ」と言うように、飛行機を操縦するということは、自らが空を飛ぶということなのだ。今だってそうかもしれないけど、当時はそれよりずっと。


場面が替わり、連合国軍地で行われている葬儀に突如現れるドイツ軍の飛行隊。成長したマンフレート男爵(マティアス・シュヴァイクヘーファー)が敵のパイロットに敬意を表し、花輪を投げ入れに来たのだった。その後奇襲隊と一戦を交え、地上に降り立った彼らの身奇麗な格好に驚かされる。シェイクスピアをベッドタイムストーリーとし、フランスの煙草を吸い、娼館?で遊ぶ、飛行機乗りの「粋」がまずは描かれる。彼らは「貴族」なのだ。その戦地での暮らしは、優雅なキャンプのよう。飛行機一機が出撃するのに多くの「下働き」が必要なことも見て取れる。


大空での「自由」を求めるマンフレートは、戦闘を「空でのフェアなスポーツ」と捉えているが、看護師のケイトに「テニスじゃ人は死なないわ」と反論される。彼が追撃した機のブラウン大尉(ジョセフ・ファインズ)は、再会した際「ケイトが何週間も看護してくれた」と言う。それだけ苦労して命を救ってるのに一瞬で死なれたら、そりゃあ納得できないだろう。なお大尉の「戦争は『貴族の』一族間の争いのようなもの」というセリフは印象的だった。
上司からは逆に「ポロの試合じゃないんだぞ」と責められる。上層部からは士気を高めるための「軍神」=不死身の英雄として祭り上げられる。そして、野戦病院で(自分たち貴族と違い)「選択の余地がない」重症患者の姿を見てショックを受け、戦争が殺し合いであることを実感するが、皇帝は彼に向かって「我々は敵を破壊するだけ、殺しはしない」と言ってのける。


恋愛ものとして見ると、マンフレートとケイトは最高に「理解」しあった状態で燃え尽きたことになる。「軍神」に対して「英雄なのに!」と笑いながら痛い注射をしたり、夜中にいきなり訪ねて行ったりという、「セレブの恋人」の俗な楽しみもあった(これをハンサムな彼女がするからいい)。ちなみになぜか二人とも、パンツをずり下げて履いてたのが可笑しかった。