ラスト・クリスマス


故郷ユーゴスラビアでの名を捨てたケイト(エミリア・クラーク)は、ジョージ・マイケルの「Heal the Pain」(「まず自分によくしなきゃ」「君を幸せにできるのは君だけだから」「僕にできることがあるかな」)にすがりながらも酒とセックスを消費するだけの「くそみたいな日々」を繰り返している。それを軽快に描いた一幕が終わるとWham!Last Christmas」が流れてオープニングタイトル、彼女の元へ不思議なトム(ヘンリー・ゴールディング)がやってくる。

助け合いの幸せを描く伝統的なクリスマス映画だということには驚かなかったけれど、あまりにジョージ・マイケル映画だったのには驚いた。全編に渡って曲が流れるというだけじゃなく彼という人が見事に編み込まれており、こんなリスペクトの形もあるんだって。予告の時点では三年前のクリスマスの訃報にその後に帰省した実家で夜中に聞いていたのを思い出し悲しくなりそうとも思ったけれど、全然ならなかった。

国では弁護士をしていたケイトの父親が資格を取り直すお金もなくタクシー運転手をしているというのには、どの国でも、日本でも…日本の場合はおよそ難民認定申請中となるわけだけれども…不本意な仕事で糊口をしのがざるを得ないという話をよく聞くじゃないかと思わされた。サンタ(ミシェル・ヨー)が法の順守にこだわるのも移民としての生きる術かもしれない。路上で歌うケイトを見かけた警官コンビ(この二人が実にいい)の「あのくらいいいじゃない」「一つ目をつぶれば次は泥棒、殺人と進んでいくんだから」なんて会話にも大いに既視感がある。

「韓国・フェミニズム・日本」に収録されている斎藤真理子と鴻巣友季子の対談に、近年ようやくハラスメントを語る「上から目線」のような言葉が出来て日本人の不愉快感が表しやすくなったというくだりがありそうそうと思ったものだけど、この映画でもケイトについてのシェルターのスタッフの会話が「彼女をどう思う」「上から目線だな」と簡潔に字幕で表されていた。この二人のセリフは常に物語に補助線を引いてくれる。「中産階級の施しなんて」然り「君への感情に戸惑ってるのさ、男によくあることだ」然り。

母(製作原案脚本兼、エマ・トンプソン)のつけっぱなしのテレビに「ブラックアダークリスマス・キャロル」。イギリスでは今でもシーズンになると放送されているのだろうか。日本の宣伝の「『ラブ・アクチュアリー』以来の」という文句に全然違うだろと思っていたものだけど、ここで少し繋がる(笑/彼女が自身であの役をやってしまうセンスも少し通じるところがあるかも)。尤もそこに帰宅したケイトは強制送還の恐怖を口にする母に「ここがママの家」と声を掛ける、時の流れを感じさせるのだけれども。