しあわせの隠れ場所


実話を元にした作品。帰る家も持たない少年マイケル・オアーは、ある晩、裕福な白人女性リー・アン(サンドラ・ブロック)に声を掛けられたことがキッカケで、家族の一員となる。


オープニングの、アメリカンフットボールに関するサンドラ・ブロックのナレーションに、この映画はスポーツものだと感じ、わくわくさせられる。原題「blind side」の意味も説明される。クォーターバックという花形の「死角」を守るレフトタックル。この映画は、運よくその才能を開花させた、あるスター選手の物語だ。
(ちなみにこの場面で、数をかぞえるのにone mississippi…というの、私は「フリージャック」のミック・ジャガーのセリフで覚えた・笑)




「私はいい人間?」
「ぼくの人生史上いちばんね」
「私ってなぜ人助けするのかしら?」
「(冗談ぽく)病的な満足を得られるからじゃないか」


作中、リーと夫のこのやりとりは少々浮いて感じられた。
ランチの席で「白人の責務を感じてるの?」「年頃の娘さんは大丈夫?」と言われたリーは「Shame on me!」と言い放つ。私のほうこそ彼によって変わったのだと。「もしぼくが(アメフト選手じゃなく)レストランの皿洗いになったら?」と問うマイケルには「自分の人生よ」と返す。映画のラストでは「大学をやめてしまった彼」のその後に触れ、自分が助けることができたのは、星の数ほどいる不運な者の中のほんの一人でしかないことを示す。
「白人が黒人を助ける」話なので、至るところにこうしたエクスキューズが散りばめられており、却って「そんなに気を遣わなくてもいいのに…」と思ってしまった。私が日本人だからそう感じるのかな。


この映画の魅力のほとんどは、はまり役を得たサンドラ・ブロックにある。明るく元気で、カルガモのように家族を従えるママ。みっちりした化粧にとっかえひっかえの衣装を見るのも楽しい。
冒頭、学校帰りの息子SJがダッシュボードに足を乗せるのを注意する口調は、しつけというより、自分のBMWを汚されたくない!という感じ。そういう、自分のやりたいことをやる人が、やりたいことをやり、(映画を観る限りでは)何人かが幸せになったんだから、よかったなあと思える。
エンドロールに流れる「実物」の中、本物のリーが一人で試合場のベンチに座ってる写真が良かった。ちょっと子どものような姿。


大学のフットボールコーチが次々やってきて、マイケルとSJの大小コンビを前にプレゼンするシーンも楽しい。
また、リーがマイケルの実母から「あの子はいつだって里親の元を逃げだして、私のもとに帰ってきたのよ」と言われるシーンでは、息子とはいえ一人の男をめぐる二人の女の微妙な空気を感じて面白かった。もっともサンドラは、彼女の手にそっと触れ、そんな空気を即座に吹き飛ばしてしまうんだけど。