夜の外側 イタリアを震撼させた55日間


威張っている男達と威張っている奴らが気に食わない男達が衝突し、交渉に応じたら舐められると互いに強硬な態度に出た結果(本作には後の調査により判明したという事情などは一切出てこない)、融和の象徴であるアルド・モーロ(ファブリツィオ・ジフーニ)が生まれて初めての「怒り」を覚えるまでになる。しかし妻エレオノーラ(マルゲリータ・ブイ)の告解の内容から、彼が怒りを覚えずに済んでいたのは「家の書斎で国民への演説を書いている」愛する夫に不満を覚えつつ家庭を担ってきた彼女の犠牲あってこそと分かる。これはベロッキオが『マルクスは待ってくれる』(2021)でおこなった、世界より自分に目を向けてくれと彼の愛を求めて死んでいった弟への懺悔と重なった。

キスにハグ、そして涙を流すだけのカトリックも全く役に立たないものとして描かれている。「パウロ6世(トニ・セルビッロ)の『赤い旅団』への手紙はキリスト教民主党の党員達を感動させた」…そことそこで通じ合っても意味がないだろうという馬鹿馬鹿しいニュースを聞いたエレオノーラはサングラスを掛けた自身を鎖で縛り付ける夢想をする(キリスト教に疎い私にはこの姿の意味がよく分からなかった)。しかし例えばモーロと「赤い旅団」メンバーのファランダ(ダニエーラ・マッラ)の共通点としてのカトリックは生とルールを重んじるいわばよきものとしても機能している。

個人か国かとなれば個人は捨てられる、国側の「友人」は「友人」でなくなるというのはモーロが言うように目を凝らせば見えていたはずのことであり、作中では彼を父親のごとく慕っていたはずの内務大臣コッシーガ(ファウスト・ルッソ・アレシ)の手のしみとして表現される。彼はそれが分かっていたからこそオープニングの、ファランダが仲介人にアドバイスされる「党が最も恐れること」…「怒れるモーロが生きたまま帰る」夢を見るのだ。そうではなかったと知った彼が部屋を出て行く姿は見ものというよりない。

ファランダは「赤い旅団」に銃撃された警察官達の葬儀のニュースに「最前列に関係者が全員並んでた」「あそこにいれば一気に殺せた」と盛り上がって恋人のモルッチ(ガブリエル・モンテージ)とセックスするが、やがて彼との間に大きな齟齬があることを知る。「女革命家でカトリックなんて」と揶揄していたその男は旅団を上の人間が決めたことを遂行するだけの軍隊と捉え、革命が成功するなどとは思っておらず、気に食わない奴を殺し自分も死んで英雄になることを望んでいた。しかし娘との時間も犠牲に取り返しのつかないところまで来てしまった彼女は怒りの後に彼よりもっと強い態度で外部にモーロの死刑を主張するのだった、未来への道はそれしかないとでもいうように。

ところで『夜よ、こんにちは』(2003)でも本作でも、「赤い旅団」の女性が彼女のその面を知らない若い男性にきれいですねというようなことを言われる場面があるのはどういうことだろう?前者では若い女性の美しさとはそれだけでよきものであり、それをマヤ・サンサ演じるキアラ自身が享受していないのはおかしいという無邪気な…馬鹿げた指摘に思われたけれど、こちらでのそれは言われて苦笑するファランダに寄り添ったものにも感じられた。