ボレロ 永遠の旋律


ボレロ』初演の晩の字の乱れを兆候に、ラヴェル(ラファエル・ペルソナ)は彼いわく「時間(の感覚)を失う」。時間が規則的に流れ爆発して終わることを悪くない、それが真理でありそれこそ人生だとする彼がそうなるのは皮肉とも言え、そのことを知ったミシア(ドリア・ティリエ)が瞳にためる涙がこの映画がこの彼に寄せる気持ちにも思われた。雷雨や香水の香り、新聞記事の切り抜きなどから移行する回想シーンや指揮するラヴェルと踊るフランソワ・ダリュが同時に存在するラストシーンに、時間の流れを失うとは時間そのものを持たないことではないということなんだと考えた。

「あなたはユニークね、男たちはみな私を誘惑するのに。キスしたくない?」「したくないことはないがそれは誰にでもできる、ぼくは音楽を捧げたい」「でもキスはできるわ」。ラヴェルはミシアを思って娼館へ赴き娼館へ行っては彼女を思う。セックスに対する欲望はなく、「趣味がいい」彼女が香水や手袋、扇子などを使う様子に惹かれている。趣味とはまずもって意思や選択、生き方とも言えるだろうか。そして潮風のもとで自分が贈ったメダイユを外すのに絡まった後れ毛、その「(彼にとっての)官能」を思い出すかのように、色を失った最後の瞬間に彼はその後ろ姿からの笑顔に触れる。

「ミューズは存在しない、ぼくが祈りを捧げるのは音楽だけ」。ピアニストのマルグリット・ロン(エマニュエル・ドゥボス)へ意見を求めたり家政婦のルヴロ(ソフィー・ギルマン)の「『バレンシア』が好きです」からの楽しいひとときがきっかけで『ボレロ』が生まれたり、振り返るとこの映画が全編を通じて描いているのはラヴェルが女達と関係を築き繋がりを保ち影響を与え合うさまに思われる。「物語なんていらない、ただ官能があればいい」とそれを表現できると見込んだ彼に『ボレロ』を書かせるイダ(ジャンヌ・バリバール)のとの場面からは、工場の場面での彼女の戸惑いやリハーサルでの彼の不満があっても共同作業といった感じを受ける。それらは他の男達、例えばミシアの夫の「君は抽象の世界にいる」と自分と他者との間に境界線を引く態度とは真逆のものだ。それでこそ「東洋」の文化を取り入れることができたのかもしれない。