ダブリンの時計職人



ロンドンで失業し故郷ダブリンに戻ってきたフレッド(コルム・ミーニー)は、家も無く海辺の駐車場に停めた車で寝起きする日々。同じように車で暮らす青年カハル(コリン・モーガン)と知り合い、新しい経験を重ね、夫を亡くしたピアノ教師のジュールス(ミルカ・アフロス)に恋をする。


オープニングは(後に「ダブリンの浜」と分かる)海、それを眺める中年男性。私なら海を見る時には眼鏡を外すかもなあ、よく見たいのかなあ、と思っていたら、彼はノートを取り出し文章を書き付ける。「迷うことはみじめなことではない」。
ラストシーンでも、彼の眼鏡について思いをめぐらせた。それまでプールに行った際には、水に近くなってようやく気が付いたかのように眼鏡を置きに戻っていたものだ。大事なものだから体から離すのが不安なのかなあ、と思っていたら、最後はしっかり外してから向かう。心構えが違うのだ。


終盤、フレッドが意を決して「8時に駐車場で」と約束を取り付ける場面にふと、昔付き合ってた人のことを思い出した。話があると改まって言われ、何かと思えば「大学は卒業してない、中退だ」って。私にとってはどちらでもいいことすぎてびっくりした。「事情」の内容は比較出来ないけど、誰にもデリケートな部分があるってこと(勿論私にも)。
ともあれ、この映画の一つの「クライマックス」が「自分がホームレスであると告白する」ということから、家を失うというのがいかに人間の尊厳を損なうものか分かる。察した彼女が美味しそうなサンドイッチとスコーンを用意してくれているのも、余程お腹が空いてると思われてる…と思ってるんじゃないか、彼はそんなふうに卑屈になってるんじゃないか、なんて第三者の私が想像してしまう。


作中幾つか「家」が出てくる。フレッドもカハルも「実家」に足を向ける。住む所を失って間もないフレッドはかつて自らが木に彫ったとある文章に目をやり、住人に「父の名」を告げる。カハルの方はどうしようもなく傷つけられた後、泥棒のように入り込み、冷蔵庫の中のミルクとピザをがっつく。彼には少なくとも家が「在る」から、「プライドを捨ててシステムを見る」というアドバイスが出来たのかな、なんて思う。
フレッドとカハルがジュールスの家を訪ねた際、流暢にピアノを弾く少年と彼女と、彼らとの間には断絶があるように思われるが、彼女は早く入りなさいよとばかりに二人を迎え入れる。居間のソファが暖炉に向いているのがいい。よく見ると多くの写真に外されない指輪、彼女も二人と「共通点」があることが分かる。
最後にフレッドの新しい「家」。窓辺の植物に水をやる姿に、以前にそうしていたのは、あそこを「家」にして「自分」を保つためだったんだと思う。


原題は「Parked」。邦題の「時計職人」とは、ロンドンでのフレッドの職業。現在も道具一式を持ち歩き、時計を常に気に掛けている。もっとも生計を立てるために「何でもやって来た」そうだけど。
「時計を直すこと」が「リスタート」であるということから、故障していたボイラーが直るのが人間関係の始動の合図となる「アルバート氏の人生」(感想)を思い出した。もっともあちらはたまたまの職人仕事、こちらは主人公の職業なんだから、そりゃあこっちの方が映画としては泥臭い。最後にテレビに映る、ダメ押しとしか思えないアレには笑っちゃったし。でもあちらもいいけど、こちらも好き。


カハルを演じたコリン・モーガン、初めて見たけど素敵だった。「ピュア」な役ということもあってか、スクリーンの向こうからまともにこちらを見られるとそわそわしてしまう。瞳の色は違うけどキリアン・マーフィに似た顔立ち、時折カンバーバッチのようにも見える表情。歯にちゃんと汚れメイク?をしてるのもよかった。どう考えてもそうじゃないはずのキャラクターが歯、ぴかぴかだと白けちゃうもんね。