リッチランド


被曝三世のアメリカ在住の芸術家、川野ゆきよ氏がリッチランドの住民との対話の席で「この場で唯一のカラードとして演台の上から話すのは気が引ける」というようなことを口にするのに、日本に住む日本人の私は、逆境とそれに対する意志を思う。しかし「リッチランドと長崎との間には和解が必要だが、元々住んでいた部族との間には和解などまだ考えられない」という言葉に表れているように、少なくとも公の場に出る機会をおそらく手を尽くして得た氏に対し、アメリカ政府に土地を奪われた部族の一家は、たまたま取材中にそのような場がなかったのかもしれないが、自宅の前でこのドキュメンタリーのために話す。ドラゴンボールのTシャツを着た若者が語るのは「この土地がなぜ自分達にとって大切か」…そんな当たり前のことを説明しなきゃならない背後にこれまでの道のりが透けて見える。

奪われ汚染された土地を浄化する活動に始まり、川野氏による実物大の「ファットマン」のハンフォード・リーチでの展示に終わるのだから、これはやはり、解決できないが解決に向けて動き続けるべき問題についての映画だと思う。解決できないというのは犯罪被害者には実に被害しかないというのに似ているが、ここには尋常じゃない複雑さがあり、そのことも川野氏の「祖父は何も話さなかった、『お前には分からないから』と。(日本軍として)加害者であるということで口をつぐんでいた」というような言葉に表れている(私はこの時、戦争時満州にいた、やはり何も話さなかった祖父のことを思い出していた)。ともあれ土地は「神が作った時」のようには戻らないし、リーチ博物館を訪れた被曝三世の子ども達は最後に学芸員とハグし合おうと(彼自身が言うに)もやもやを抱えたまま帰るしかない。

ワシントン州リッチランドは、現在の祭典の映像を見るに、レオタードを来た少女達が踊るような、昔の映像を見るといわゆるミスコンも盛んな…いずれもあれが「普通」なのだろうか…白人の町である。自分達は幸福だという夫婦の間で川の魚を食べる・食べないの差がある。父親を癌で亡くした(100歳で健在の母親はその後訴訟を起こしたという)女性は自分達の外側で何が起こっているかなど知らなかった、50年代はアメリカ中の皆がそうだったと話していたが、そう聞くと、あの頃が舞台のアメリカ映画を見る目がまた変わる。式典での演説を終えたケネディを乗せ飛び去るヘリコプターの姿が目に焼き付いた。