ひかり探して


刑事キム・ヒョンス(キム・ヘス)は少女ヘジン(ノ・ジョンエ)の失踪事件の報告書を作成しながら彼女は自分と同じじゃないかと気付く。「自分が悪いわけじゃないのに罰を受けるように生きている…いや、生きているのかどうか定かではない」。二人には「知らなかった」自分が悪いのだと自身を責めているという共通点もある。韓国には特にそのような状況にある女性がいるのかもしれない。この映画はまずもってそういう人達へのメッセージのように思われた。あなたは悪くない、という。

ヒョンスが話を聞いて回る先の人々は、ヘジンの名前すら覚えていない船着場の巡査(?)を始め保身ばかりで誰も少女の命のことを気に掛けていない(向かい合って会話する際の各人の姿勢や態度でそれが大いに表されている)。靴が脱いであって姿が見えないのだから自死だろうというわけだ。しかしヒョンスには「分かる」、例えば自傷行為は死にたいからじゃなく生きたいから行われるのだと。

ヒョンスは監視カメラを壊すヘジンの顔に「鏡の中の自分」を見たのだと言う。韓国の映画やドラマでは監視カメラが重要な小道具となることが多いが、ここではそれは心ないものの象徴である。見るばかりで見守りはしない。傍からは「苦労知らずの金持ちの娘」だがその実、利用されるばかりで血の繋がらない母親以外に頼る相手もいなかったヘジンには、誰も気にかけてくれないのに監視だけはされるなんてそりゃあむかつくものだろう。ここでは善意はカメラの死角に、あるいは閉められたカーテンの向こうに出現する。

(以下少々「ネタバレ」しています)

この映画には、「気をしっかり持って」強く生きることは当人にしかできず、他者は「自分で自分を助ける」ことの手助けしかできないということが描かれている。「誰も助けてくれないから自分で自分を助けるんだ」とヘジンを促す順天宅(名前はなく島の皆に「順天から来た人」と呼ばれている/演イ・ジョンウン)は、境遇からそのことを知っていた。「泣き喚くより気力のない人の方が厄介だ」と言う弁護士(チョ・ハンチョル)や、心配して押しかけてくる元同僚のミンジョン(キム・ソニョン)などにヒョンスを再出発させることはできない。

一人捜査を進めるうち強くなったヒョンスが、自分をそんな状況に押し込めた夫の顔をしっかり見て「ずたずたにしてやる、闘った証を残すために闘う」と言い放つ顔の頼もしいこと。更にはヘジンや自分をおざなりに扱う組織に私を裁く価値、いや私が身を置く価値などあるのかと考える。離島の崖というどん詰まりに始まった映画は、海を越えて軽やかに飛び立った女二人の再出発に終わる。どん詰まりなんか無いんだ、そんなもの捨てていけばいいんだと言っている。