RRTで見たもの

第28回レインボー・リール東京にて観賞した三本についてのメモ。


シンシア・ニクソンがエミリー・ディキンスンを演じた「静かなる情熱」(2017年イギリス)もとても面白かったのでぜひ見たいと思っていた「エミリーの愛の詩」(2018年アメリカ/マデリーン・オルネック監督)。「静かなる情熱」は見ているうちにどんどん裏切られるのが面白かったものだけど、これはその比じゃなかった、すごく独特。

オープニング、戯画的に求め合うエミリー(モリー・シャノン)とスーザン(スーザン・ジーグラー)の姿にかぶる「とにかくまあ、私の話を聞いて」。ある女性が詰め掛けたご婦人方にいわば「推し」カップルについて語っているのであった。なるほど誰かの主張という形でアウティングを避けるのかと思っていたら、やがて作中のエミリーのやることなすことこの女性メイベル(エイミー・サイメッツ)の語りとかけ離れたものになってゆき、終盤には彼女こそがエミリーの死後に膨大な愛の詩からその相手である「スー」を消し去った人物であると判明する。

映画はメイベルがエミリーの手による「スー」の文字を消す音に一旦終わり、エンドクレジットにおいてそれが復活するので真に終わる。それを私達が見届けることが本作の目的であろう。スーザンいわく、アメリカ初の女性医師が誕生した経緯は「女性に医大入学を許可してもいいかという問いに冗談で賛成した人達がいたから」。ここからこじつけると、映画の前半の「冗談」的な描写は、物事を通すための一つのやり方に思われる。一番言いたいことには最後に到達する。

ところで、私が今年劇場で見たアメリカ映画のうち、実在の主人公?による文が画面に出るのが「RBG」と本作だというのは面白い。いわば正反対で、どちらも意義がある。


▼「カナリア」(2018年南アフリカクリスティアン・オルワゲン監督)はアパルトヘイト下の南アフリカで徴兵制により軍の聖歌隊に入った18歳のヨハンの物語。親友にして恋人となるヴォルフガングの言う「どれだけヒット曲に救われたか」という話であり、それだけじゃ足りないという話でもある。ヨハンの「ボーイ・ジョージが自分はゲイだとひとこと言ってくれれば」に有名人の発言の重さを思う。

オープニング、姉妹と共にメイクにドレス姿で公道に出たヨハンが牧師の車にぶつかりそうになる場面で結構な笑いが起こり、もし一般上映ならこんなふうじゃないかもと考えた。マイノリティにはそれぞれその属性ならではのジョークというか笑い飛ばせるものがあり、当事者が一番反応する。私だってそうだもの、日本じゃ見たことないけど女性のスタンダップコメディアンのネタにはつい笑ってしまう。

(他には例えば老人ジョークとか病人ジョークとか。「インスタント・ファミリー」のリジーが「里子ジョーク」を口にする場面はちょっと違って、本人があれを明らかに面白がっていないことから状況が察せられるというわけ)

ここには、複雑な、いや世に多々あるけれども映画で描かれることはあまりないといったことが焼き付けられている。登場時から「いい先生」である牧師が「あなたがたは宗教と軍事とどちらに身を捧げているのか」と問われた時の答えなど、一人残されたヨハンの様子も含め忘れられない。二人きりでのマダムの「カゴが開いたらすぐ飛び立って」もよかった。長回しと二人がこちらを向いてる画面が、見ている私も同じ世界に生きているという感じを喚起させて素晴らしかった。


▼「ジェイクみたいな子」(2018年アメリカ/サイラス・ハワード監督)は「男の子らしくない」息子ジェイクの小学校選びに奔走する夫婦の物語。

映画はアレックス(クレア・デインズ)とグレッグ(ジム・パーソンズ)夫婦の一見平和な起床に始まる。冒頭「バレエを習わせたらあんなに上手だったのにやめてしまった」という母の話とそれを聞く当のアレックスの様子から、何でも卒なくこなすが欲のない人物像をイメージする。それにしても、弁護士だったのが出産して仕事を辞め、今また妊娠する、すなわち自らの中に命を宿すなんて、なんと大きく変わり続ける人生だろう。それに対し変わることのできない、とも言えるパートナーがし得る最良のことは何だろう。

息子ジェイクの通う幼稚園の園長ジュディを演じるオクタヴィア・スペンサーは、「親」に助言をするという点では「インスタント・ファミリー」の彼女と似た役どころだが、大きな違いがある。それは、私もしていることだけれども、進路指導を行っているところ。進路指導とは、一人一人のためを思いつつ、(作中強調される)「定員」の中に他の学生じゃなく目の前の学生をねじ込むことでもある。ジレンマもある。しかしジュディの言動から「見極め」こそが大事なのだという知見を得られた(それこそが「Director」かな、と考えた)。

話は公立学校のために引っ越してきたのに学区変更が行われ(!)希望の小学校に入れず、私立の奨学金を狙ったらどうかとジュディにアドバイスされるところから始まる(この時彼女はジェイクの「個性」について確信があったのだろうか)。映画の終わり、周囲は特に何も変わっていない。学校には「定員」があるしジュディの言う通り「競争」はなくならないしジェイクはいじめられるかもしれない。でもジェイクに一番近い二人の気持ちが変わった。まずそこから、それが自分にも繋がっているという話だと受け取った。