ブレス しあわせの呼吸



「僕は君にとって何の役にもたたない」と死にたがっていたロビン(アンドリュー・ガーフィールド)が、後に家でダイアナ(クレア・フォイ)に尿瓶をあてがってもらいおしっこをしながら楽しく会話するシーンが素敵だ。これはまず、人は役に立つだの立たないだのという存在ではないという話なのだから。


息子との語らいの後にロビンが「スペインに行こう」と言い出しダイアナが驚くあたりで、詳しくは知らないけれど宣伝を見掛けた「こんな夜更けにバナナかよ」が脳裏をよぎった。存分に手伝ってもらってやりたいことをやる。「5パーセントの奇跡」しかり、たまにあることだが、お国柄や規模の違いはあれど同時期に各所で通じる所のある映画が作られるのは面白い。尤も「それ」が不足しているから作られるのかもしれないけれど。


選択権の話でもある。「幸運なことに長くはもたない」…幸運か否かを決めるのは自分。「かわいそうに見世物になる」…見世物と見るか否かはあんた次第だし、よしんばそう見られてもどう受け止めるかはこちら次第。車の後部で一人で荷物扱いされるのは嫌だが望んで皆でお荷物になるのは楽しいのだ。「(当事者でない)専門家は新しいことに反対する」というのもそう、「重度障害者の生き方」が話し合われる場に障害者が一人もいない、なんて問題は今もよくある。「女性の活躍」を云々する組織に女がいないなど。


首から下が麻痺し横たわるのみのロビンの立場で、彼をのぞきこむ、取り囲む人々の姿やぼんやり聞こえる声を捉えた映像は、よその星で囚われた異星人の体験(の出てくる映画の一場面)のようである。「500ページの夢の束」のウェンディが「普通の人には何でもない音」に悩まされるのと、本作のロビンが病室でうなる機械の音について全く配慮されないのには通じるところがある。その立場を重要視されない、マイノリティの苦悩だ。


この映画の特徴は、現実を生きるという話をどこかロマンチックに描いているところ。ヒュー・ボネヴィル演じる大学教授兼発明家が新しい型の車椅子を作るシーンのドラマチックなこと。ロビンとずっと一緒の呼吸器は、「いまいましい」から「僕の代わりに呼吸してくれている」となる頃には形変われど愛くるしく感じられる。ロビンとの距離はあれど、体の一部に見えてもくる。そして彼の「あと」に呼吸を終えるのだ。