サーミの血



見るのが辛いけれども素晴らしい映画だった。「君の本名は?」と聞かれる場面があった。社会にさせられていることを社会に責められる、これって名前に限らず色々ある。「悪気はない」けれども社会に乗っかって押し潰してくる相手にそうされる。


映画は妹の葬儀というので故郷に帰るも嫌悪感を隠そうとしない「クリスティーナ」の姿に始まる。「教師をしていた」と言うので、これも元・教師ものかあ、なぜ教師になったんだろう、と思いながら見た。続く回想シーンでは、彼女、本名エレ・マリャ(レーネ=セシリア・スパルロク)は始めこそ学校の先生に憧れているが、サーミである自分達が差別されていることを早々に思い知るからである。それじゃあなぜ?と思う。


結局、彼女が教師になった理由ははっきりとは描かれない。その時代に身寄りのない女性が就ける仕事は限られていたのかもしれない、とも思うし、「同じ」教員でも「違う」教員になってやろうと思ったのかもしれない、とも思う。ちなみに冒頭の授業でスウェーデン語の詩が暗唱出来なかった子が叩かれる場面には方言札を思い出した。日本でも沖縄でやってたやつ(同化政策ならそれ以上によそでも散々やってきたわけだけど)


始めと終わりに、エレ・マリャとニェンナの姉妹が水の上で向かい合うシーンがある。いずれも姉の横顔がアップで切り取られると、まだ子どもなのに、随分大人に見える。あそこまで接近すると、そこに子どもの大人性とでもいうものが表れるんじゃないか、なんて考えた。実際終わりには、始めと随分変わっているんだけども。


サーミの少女達もウプサラの町の少女達も、髪をいじり合って遊ぶ(私もあの位の頃、やっていた)。対して学校に視察に来た偉いさんがサーミの少女達の髪を「きれいね」と触るのには、侮蔑しか感じない。サーミの言葉でどんな意味なのか分からないけど、エレ・マリャは自分達は「見世物」だとはっきり言っていた。


上の文章を書いて数時間後の追記:冒頭「クリスティーナ」が「スモーランド出身で、教師をやっていた」という後半だけをその通りに捉えてしまったけれど、前半は「嘘」なのだから、後半だってそうなんだろうか?だったらずっと勘違いして見ていたことになる。今更しょうがないけど(笑)