ザ・フォーリナー 復讐者


「タトゥーの入った背中」が男に過去があることを示す映画を近年重ねて見た。本作の冒頭女と裸で目覚めるのに登場するリアム(ピアース・ブロスナン)の腕にもタトゥーがあるが、彼は背中は見せない。タトゥーは今は北アイルランド副首相である彼がかつてIRAの「武闘派」だったことを表しているが、ここではそれは過去でなく、ある意味ではそのこと自体が描かれるからである。

テロリストからの電話を受ける記者のイアン(ルーファス・ジョーンズ)を始めとして、捜査に掛かる警察や会議に出るリアムと皆が自分の仕事をする中(これが問題なのだが、それが成果を挙げるか否かはさておき)、娘を殺されたクァン(ジャッキー・チェン)だけが仕事場である中華料理店を、おそらく戻れないとの覚悟で手放す。「権力者」であるリアムに目を付けた彼は「政府とテロリストは頭と尻尾だ」、要するに尻尾を差し出せと言う。この感覚はクァンの境遇ゆえのものなのだろうか?

クァンの来訪を警視長に告げる部下が「Chinese man…Chinaman」。クァンは会うなり英国市民であることを言う(はめになる)。後にリアムの秘書が彼の部下達に「リアムの言ったことじゃ足りないのよ」と、まるで目の前のクァンが自分達の言語を解さないかのように話すのが奇妙だったものだが、彼らには彼が見えないのだろう。特別視することと無視することとが同義である時はままある。

直接、あるいは間接的に人を殺しているサラもリアムの妻メアリーも、共に男を利用している。リアムの甥のショーンがメアリーの前で平気で重要事を口にしてしまうのに表れているように、それは相手の男が彼女らを「いない」ものとしているから出来ることであり、「Chinaman」に通じるところがある。

この日は「午前十時の映画祭」で久しぶりに「ジョーズ」を見て、ロバート・ショー演じるクイントは原爆を運んだという罪に追われる死人のようなところがあるなと思ったものだけれども、本作の終盤でリアムの前に現れる顔の無いクァンはその「罪」にも似て感じられた。私にはどうも、彼の中に西欧にとっての「アジア」が一緒くたになっているような気がした。