熱風



イスラーム映画祭3にて初めて観賞、1973年インド映画。インド・パキスタン分離独立直後に多くのムスリムパキスタンへ移る中、インドのアーグラに留まった一家の物語。私には、「何もしない」ことを選んできた一人の男がデモに参加するまでの話に思われた。悲劇の物語だけど勇気づけられた。全編に渡り音楽がとても楽しかった。「翼をもげば鳥籠から逃げられなくなる」の「翼」とはインドの両翼のパキスタンバングラデシュのことだろうが、あの文脈での意味が分からなかった。


「intermission」までを前章とすれば、それは列車がゆくのに始まり列車がゆくのに終わる。オープニング、主人公サリームが見送る、ちょっと珍しいアングルで撮られた(ように見えた、なぜだろう)列車は、鉄道の作りの違いのせいもあるのか、あまりに彼をすれすれにかすめて走ってゆくように感じられて怖かった。(前章の)エンディングには列車と共に娘の愛と希望が去る。


靴工場の職人の「デリーの新聞は信用できないがラホールの新聞は信用できる」に始まり、サリームと貸し付けを渋る銀行との「出て行った人達のつけを残った者に払わせないでくれ」「こちらは誰も信用できない」とのやりとり、貸金屋の「みな利子も元金も持って出て行った」、他「中卒以上の学歴の男はみなパキスタンへ行った」等々、字幕を読んでいれば私にも当時の状況がある程度は分かる作り。身内を守り生き残るための人々の言動が差別へと繋がり、暴動さえ起こる。今の日本でも感じる空気の匂いだ。


家長であるサリームが、働いていさえすれば何とかなる(「神が糧を与えてくださる」)とそれ以外においては「何もしない」ことを選択し続けることにより、一家が悲劇に見舞われる話とも取れる。土地を離れないこと、兄に不動産の名義の変更を頼まないこと、靴職人のストライキに参加しないこと。映画の終わり、ついにインドを去ることにしたサリームらを乗せた馴染みの御者が「分かっていましたよ」と言う。でも彼は馬車を降りる。世の中とは、「分かってる」、じゃないことを誰かがすることの積み重ねによって変わるのかもしれないとふと思った。私にはそういう映画に思われた。