ヒンディー・ミディアム


この二時間強の、教育や貧困といった社会問題を扱いつつも一大叙事詩のような趣の新鮮さ…器用な観客でない私には見づらさにも繋がったけれど…は、私がインド映画を見つけないからなのかインド映画でもあまり無いタイプだからなのか。娘の受験のために名門小学校の受験範囲地域に引っ越す朝の妻ミータ(サバー・カマル)の「私が嫁いだ日より泣いてる」に、妻が家を出たんだから夫も出たってよかろうとふと思い、そこで引き込まれた。

オープニングに置かれた出会いの一幕から、ミータが「モダン」であること、自分の欲望に向かって邁進するタイプであること、その美貌に惹かれたラージ・バトラ(イルファン・カーン)がそれをかなえるために何でもするようになることが分かる。これがラストに繋がっているんだけれども、終盤の「くじ引き」場面で、彼らがそのようなことが出来るのはいわばくじに当たったからなのだ、生まれは選べないのだと思った。努力によって一代で成り上がったのだとしても、その足場もない人々がいるということが描かれているから。

始めに出る「フィクションです」には「今のインドではこのようなことが行われています」との含蓄がある。続く「動物は虐待していません、ネズミはCGです」が活きてくる辺りから映画の様相が変わる。「存在のない子供たち」の喜劇版とでも言おうか、低所得者層の入学枠目当てで貧民街に越してきた一家が言われる「あの人の身内?ああ結核で死んだっけ」「あの人の身内?ああデング熱で死んだっけ」が笑えるよう撮られているんだから。生き延びるため役人には逆らわず仲間内で喧嘩する日々に必要なのは助け合いだと訴えているところも「存在のない~」と同じだ。

この話における悪が肥える者達によるシステムであることは間違いない。デリー一の名門校はアファーマティブアクションにおける不正を告発した国語教師に「システムを正すには丁度いいだろう」と嫌がらせで仕事を回し、ラージに対しては警察もメディアも全部うちの卒業生なんだからと言い放つ。同じ親に訴えたところで動く者はいない。しかし話が終わってみれば「誰も行かないから寂れていく」公立学校が一つ救われており、個人の行動が人を、国を救うことに繋がることが描かれている。