面白かったけど、なぜ面白かったのか説明できない。実にいけすかない男なんだけど(「いいところ」しか映ってないけど、ナンパされる若い女の一部に与えるストレスたるやかなりのものだろう)、私の思う一つの「普通」がこのように存在している様子を初めて見たっていうか…
マーク・レイ氏が「(自分について)モデルなんて知性を求められない仕事だ」と言いながら30年程前のモデル時代の写真を大切に持っていたり、「ニューヨークの人達は皆ストレスに晒されているが僕には無い」と言いながら「僕は常にナーバスだ」と口にしたり、それらについても、そういうものだろうと思う。
彼は古いタイプの「奔放な男」であるのと同時に「若いままこの年になった」のだと思い(だからエンドクレジットが幼少時からの写真や映像で彩られていたのに驚いた)、私にとってはそれも「普通」なんだけど、なぜ他の皆はことごとく、違う「普通」におさまっていられるんだろう?と考えてしまった。
「MIB3」のエキストラの仕事に出掛ける朝、オープン前の店のガラスで髭をそる彼の姿に、私は「ニューヨーク」住まいじゃないけど、誰にだってこんなふうに髭をそるのに家を貸したっていい、でもそうしないのには色々あるわけで(勿論第一は「危険」じゃない保証は無いから)、その色々こそが人々を違う「普通」におさまらせるのだろうか、などとも考えた。
ニューヨークでああいうふうに暮らすとどのくらいお金が掛かるかという事情も面白い。「一か月、健康保険に280ドル(「普通は500ドルだが俳優組合のだと年間1200ドル」(だっけ?ともあれ複数入ってるってことかな)」「飲み代以外の食費に400ドル」「総額1200から1500ドル」なんだそう。ホームセンターで「都会のキャンプ用品があればなあ、壁や植え込みに馴染むテントとか」なんてのも面白かった。
冬の晩、スタバが閉まったので移動してきた彼が次の店に入ろうとすると、そこから帰る女の子二人が「わあ!雪が降ってきた」なんて話しながら出てくる、ああいうの、いわゆるドキュメンタリーに掛かった魔法だよね。偶然じゃないけど、公園で犬に手を叩くも逃げられての「愛想がないな」も面白かった(笑)
同居人がやっぱり見たいな〜と言うので、TOHOシネマズ新宿にて観賞。三週目にして小さいスクリーンに移ったせいもあってか満席だった。
見ている最中、スノーデンがエックスキースコアの存在を知る場面で丁度空調が強まって、場内にさーっと風が流れたのがよかった。お客全員の熱が一気に上がって、なんてわけないけど(笑)
エドワード・スノーデンの告白を収めた「シチズンフォー スノーデンの暴露」が心に焼き付いていたから、本作の予告のジョセフ・ゴードン=レヴィットを見る度に誰だよお前!と思ってたけど、彼が登場した瞬間に惹き込まれた。全くもってチャーミングだ(最初に登場する二人にも驚いた、出てると知らなかったから。他にもぞろぞろ、実に豪華キャスト)
私にとっては昨年公開された「シチズンフォー スノーデンの暴露」(2014)と「アイ・イン・ザ・スカイ」(2015)とがセットになっており、「アイ〜」同様に非・ドキュメンタリーの本作を見ても入れ替わらなかった。「シチズンフォー」が作中ずっと訴えていた「(僕ではなく)本題にフォーカスして」ということを、このスノーデンも記者達に言っていたけれど、明らかに多くをドラマチックに脚色しておきながら、本作の最後に「本物」のスノーデンの映像を使うのには大きな違和感を覚えた。
スノーデンのパートナー、リンゼイ・ミルズを演じるシャイリーン・ウッドリー目当てに見てもいいなとは思ってたものだ。「あなたは日に当たらなくちゃ」と外を散歩しながらの政治についてのやりとりに、「初対面」時からこういうことを話しておけば、考えが違おうと違わまいと、後で互いに腫物に触るような思いをしなくていいからいいなと思う(とは「日本的」な感覚かな、やっぱり)。「賢い保守派の人ってむかつく!」なんて楽しいセリフだけど、もし自分が本当に言っていたんでなければ、私がリンゼイさんならそれこそむかつくな(笑)
ちなみに始めのうち彼女が赤と青をよく身につけてるのは、やっぱり「アメリカ」を表しているんだろうか?最後の方にはもう着ていなかったけど。
スティーヴン・キング原作&脚本、ジョン・キューザック制作総指揮&主演。都内の数少ない上映館、TOHOシネマズ六本木ヒルズは数十人の入り。
最初と最後、特にラストシーンは面白かったけど、途中がどうも、話は面白いと思うんだけどスクリーンには何のきらめきもなく、眠くて眠くて。まあこのくらいなら、お金を出して見てもいいかなとは思う(笑)
冒頭、携帯の電池が切れたクレイ(ジョン・キューザック)が空港の公衆電話から妻に電話を掛ける時、ささっと番号をプッシュするのが彼の執着を表しており面白い。あるいはそんなに珍しいことじゃないのかな?私は自分以外の携帯電話の番号なんて一つも覚えてない。
クレイやトム(サミュエル・L・ジャクソン)は旅をしながらドライブインシアターやジュークボックスなんて「昔のもの」に(「時代の流れ」なんかじゃなく真に)別れを告げてゆくけれども、作中最も懐古的なのは、「バンドTシャツでハッパを吸ってばかり」(ってお前は映画のジョンキューか!)のあげくに家を出た父親を息子があんなにも慕っているという描写にも思われた。尤もそのような「希望」が打ち砕かれるという映画だけども(笑)
銃規制運動に名前を出しているジョン・キューザックの「僕の柄じゃないけど銃が欲しい」なんてセリフがちょっと面白かった。
最後にクレイが見る「夢」における「カナダに向かおう」とのセリフは随分と「今」っぽいなあ、原作にもあるんだろうか?と気になってツイートしたら、小説にあのくだりは無いと教えていただいた。映像も、たまたまの時流への乗り方も、面白いアレンジだと思った。