カウリスマキファンの私も「ロッキー」を観る。これこそ以前書いた「それはまた、べつの話」だ。当たり前のことながら、人生って、ゆずれないものと、ゆずれるものと、両方で出来ている。
閑話休題。最近「1」だけ観直したんだけど、こんなんだったのかと驚いた。「サタデーナイト・フィーバー」を大人になってから観たときと似ている。ロッキーのモッタリした喋り方や、その内容が好ましかった。彼の英語は、私には聴き取りやすい。それに自分も身振り手振りが激しい方なので、一生懸命手を振り回しながら喋る姿に、なんとなく共感してしまう。
「ロッキー」は練習シーンが短いところが好きだ。
「お前は走れないし、関節もボロボロだから…先祖もブチのめすような重いパンチでいくしかない」ってことで重点的に特訓するんだけど、そのバリエーションが面白かった。ドラム缶放り投げたり、重量上げしたり…実際のボクサーがあんなことしてるとは、思えないけど(笑)
その後「もう試合?」というカンジでゴングが鳴るんだけど、はじめはテレビ中継のようなスタイルで、途中からちょこっと凝った映像になるあたり、飽きさせない。試合終了からエンディングまでのさらっと感も良かった。
それにしても、「ロッキー」ってなんだか寂しい。2から5は覚えてないけど、少なくとも1や今作は、町が映るときは朝か夜で、人があまり居ないってのも原因だ。あの近所、昼間はどんな様相なんだろう?
映画はロッキーの朝の一幕から始まる。まだ飼ってるカメにエサをやり、飲み終えたカップを玄関先に置き(この意味が分からなかった)、鉄棒で4、5回懸垂して、エイドリアンの墓へ向かう。寒々しいけど、生きてる、息づいてるというのが伝わってくる。
「スモーキン・エース」は、ホテルの最上階に滞在中のターゲットを狙い、名うての殺し屋が集結する話。司法取引のためその身を保護するFBIの上司にアンディ・ガルシア、その部下にレイ・リオッタ、ライアン・レイノルズなど。冒頭から、相も変わらないレイ・リオッタの下まつ毛に目を奪われてしまった。
次々と繰り出される登場人物の多さに、顔覚えるの苦手だからどうしようと思ってたんだけど、人が多いこと以外は親切な作りで、中盤から安心して観てました。
殺し屋のキャラはいかにもというカンジに泥臭くバリエーションに飛んでて、メタル流しながら登場するネオナチ三兄弟とか…この手の映画観ると、当たり前だけど、登場人物と全くかけ離れた人たちが作ってるんだろうな〜と思ってしまう。さらに観賞後、振り返って客席を見てもしみじみ思う。ノンフィクションだけど「ヨコハマメリー」では、突然カメラに入ってきた作り手側の姿に、語られてる世界との差異を感じてしまい戸惑ったものだ。
女二人組の殺し屋、アリシア・キーズと、彼女をアイパッチ姿で援護射撃する相棒が良かった。
アリシアは娼婦に混じって忍び込むため、それらしい格好をするんだけど、カッコよすぎて、安手の娼婦達のそれ…嫌いじゃないけど…とはやっぱり違う。脱ぐためのペラい服じゃなくて、自分を守るための格好だから。相棒の「ビッグ・ママ」越しに見られる着替えシーンで、一生懸命防弾着やら胸やら押し込んでたのも面白かった。