物語は「82年生まれ、キム・ジヨン」を思い起こさせる「妻の憑依現象」に始まる。夫婦はそれを隠すために村の外れに住まい誰も泊めないが、妻が「ごめんなさいね」と言ったところで客は夫の客なのであって、村人が言う「だから田舎に住んでるのか」とは因果が逆で、妻が病気だから田舎に住んでいるのではなく田舎に住んでいるから妻が病気なのである。「なぜ子どもが欲しくないんだ」「なぜ私たちはここに住んでるの」「君は僕たちの愛の結晶が欲しくないのか」と噛み合わない会話。
物語は、あることの結果によりこの夫婦が死んだ事件の捜査にやって来たチョ・ジヌン演じる刑事ヒョングが、死んだ当の教師スヒョクに「なる」という展開を見せる。そのうち、先の噛み合わない会話と、刑事だった頃のヒョングが家庭で妻に向けるでもなく口にしていた独り言とが重なってくる。どちらの夫も家族を愛しているが、それは一方的なものだったのではないか。ちなみにこのパートは、ドラマ「シグナル」で強行班の刑事役だったチョ・ジヌンと上司役だったチョン・ヘギュンの絡みが面白い。
教師になってしまったヒョングが子ども達に読ませる国語の教科書の「気持ちを伝えること」、これはそれをしてこなかった人達の話であり、ヒョングがスヒョクに「なる」のはそれを是正するためだと私には思われた。同じ「とてもいい」が、スヒョクのそれは妻の我慢の上に成り立っていたのが、ヒョングの言葉になって誰も圧していない、いわば正しいものになる。ただし教科書に「いつも力になってくれる言葉」とあったように、それを言う者は自身を鼓舞しつつ努力する必要がある。
精神科医の「夢とは不要な記憶の塵を燃やすようなものです」とのセリフが印象的で、タイトルの「消えた時間」(原題同じ)とはヒョングが「不要な記憶の塵」を燃やした結果の夢のようなものだと考えた。